東日本大震災から10年 いま伝えたい想い
セーブ・ザ・チルドレン・ジャパンの「子どもまちづくりクラブ」(岩手県山田町)に参加。2012年10月インドネシア・ジョグジャカルタで開催されたアジア防災閣僚級会議に子どもまちづくりクラブのメンバー代表として参加した。現在は東北で復興関連の仕事に従事する。
2011年8月にセーブ・ザ・チルドレンが青森で開催した「子どもまちづくりリーダーツアー」(*1)に、同級生に誘われて参加したことがきっかけです。当時中学3年生でした。はじめは旅行気分で参加していたのですが、自分より年下の子どもたちがしっかりと自分の意見を持って発言して、頑張っている姿を目の当たりにして、自分ももっと頑張らなくては、と刺激を受けました。それ以来、高校2年生の秋頃まで週に1回程度のペースで「子どもまちづくりクラブ」(*2)の活動に参加しました。
「子どもまちづくりクラブ」の活動で自分たちの意見を山田町の町長さんに伝えたり、皆で町民や県外からの観光客に「どうしたら山田町がもっとよくなるか」というインタビューをしたりしたことが印象に残っています(*3)。
それから、2012年10月インドネシアのジョグジャカルタで4日間開催されたアジア防災閣僚級会議(*4)に参加したことも覚えています。当時通っていた高校の校長先生がとても理解があり、公欠扱いで会議に参加できました。
人生初の海外でとても緊張しました。気候や食事なども日本と違っていたので、着いてから体調を壊してしまいましたが、会議には参加できました。
まちづくりクラブの皆で話し合った「防災のため大きな堤防は必要だけれど、大きな堤防があると山田のきれいな海が見えない。だから堤防を透明な素材でつくって海が見えるようにしたらどうか(*5)」というような意見を発表した記憶があります。
日本以外にインドネシアとカンボジア、フィリピンの3ヶ国からも子どもたちが参加していたので、皆でインドネシアの伝統工芸品のひとつ「バティック」という布を染めたりしたことも楽しい思い出です。
自分で何かしたいと思ったら自分から行動を起こすことができるようになったと思います。
家が被災したので、しばらく山田町の避難所で生活していたのですが壁などで個人のスペースが確保されていなかったので、勉強する環境がなくて苦労しました。そのとき、避難所でも勉強ができそうなスペースを友人と探し、周りの大人たちにも事情を説明して、交渉して勉強スペースを確保することができました。
それから、子どもまちづくりクラブの活動に参加するまでは、自分本位でボランティアに興味はありませんでした。でも、活動に参加するようになって、寄付やボランティアをとても身近に感じるようになりました。高校生のとき、盛岡市北部で大雨が降り家屋が浸水して大変な被害がありましたが、復興のためのボランティアに駆け付けました。
地域の防災や緊急支援、復興支援を考えるときに、その地域で被災した人たち、とくに子どもたちの意見をよく聞いて取り入れていってほしいと思います。避難所で自分みたいに勉強がしたいけれど、そのスペースがなくて困っている子どもたちが大勢いるかもしれない。ひとつの避難所で改善できたことは、ほかの避難所でもできるはずです。そうやって良い事例や経験をほかの避難所にも横展開していってはどうでしょうか。
私は今、東北で復興関係の仕事をしていますが、災害の復旧工事でも同じことがいえると思います。震災の経験は決して風化させてはならない、これからもしっかりと語り継いでいきたいと思っています。