東日本大震災から10年 いま伝えたい想い
セーブ・ザ・チルドレン・ジャパンの「子どもまちづくりクラブ」(岩手県山田町)に参加。2015年3月仙台で開催された第3回国連防災世界会議に参加し、各国の政策決定者を前に子どもまちづくりクラブの活動や震災当時の自身の経験などについてスピーチを行った。現在は都内に勤務する。
中学校1年生のときに、母に誘われて山田町の「子どもまちづくりクラブ」(*1)の活動報告会に参加したことがきっかけです。当時同年代の子どもたちが堂々と発表している姿を見て「そこまで考えているんだ、すごいなあ」と感じました。 当時、私の周りでは、復興に向けてのさまざまな取り組みを考えたり、話し合ったりするときに「大人にまかせておけばいい」という雰囲気でした。しかし、報告会に参加して、私も「町の復興について話し合い、意見を出したい」と思いました。 それ以降、高校2年生まで隔週の週末に半日程度活動に参加するようになりました。私は山田町の内陸部に住んでいたので、まちづくりクラブの活動をしていた沿岸部まで少し遠かったのですが、できる限り参加しました。
2015年3月に仙台で開催された第3回国連防災世界会議(*2)に参加し、皆の前でスピーチを行ったことをよく覚えています。 私は、海から離れた地域に住んでいたので、震災当時多くの人が自分たちの地域に避難してきました。私たちの地域も停電はあったし、お店が開いていないので必要なものが買えずに困っていました。生活に必要な物資を受け取りに避難所へ行ったとき、私のような家が無事だった人たちは、自宅を失い避難してきた人たちから、家が残っているのになぜ物資をもらおうとするのと言われたこともありました。子どもながらにすごくつらかったし、疑問もわいてきました。だから、皆の前で、こうした体験や自分たちの活動について伝えたいと思いました。 スピーチの後、各国の参加者から声をかけられたり、新聞などで取り上げられたりしたので、自分たちの言葉で自分たちの経験や活動を発信することの意義を強く感じました。
また、「山田町ふれあいセンター」の建設も印象に残っています。まちづくりクラブのメンバー皆でデザインを考えたりしました。木のぬくもりが感じられるよう木造で開放感のあるつくりになっているので、とてもリラックスできるお気に入りの場所です。高校2年生のときに、当時の天皇皇后両陛下がふれあいセンターを訪問されたときは施設の案内を担当しました。少しだけですが、言葉も交わすことができて本当に貴重な体験でした。
スピーチのなかでも触れたように避難所での体験から、当時私は外出が嫌で家に閉じこもってばかりいました。「子どもまちづくりクラブ」に出会えてなければ、今とは違う生活だったかもしれません。「子どもまちづくりクラブ」は私にとって、安心して何でも言え、楽しく悩んだ場所でした。クラブには3つのルール「参加」「尊重」「守秘」があり、皆そのルールを守っていました。特に「尊重」は、最後まで人の話を聞くこと、人の意見を否定しないことが約束だったので相手の言葉を拒絶せずに聞き、自分の中でしっかりと消化してから話すことを心がけるようになりました。今でも人の話を聞くときには必ずそうしています。
被災の度合いに関わらず、生きていくうえで必要な消耗品などの物資の支援は必要です。 それ以外に、自分が今どういう状況にいるのか正確に把握するための「情報支援」も重要だと感じています。震災当初現場は混乱状態で、正確ではない情報が発信されることもあります。混乱している状況だからこそ、人々を助ける正しい有益な情報の支援が求められていると思います。
正しい情報は災害前に共有することも可能です。事前に防災に関する正しい知識を身につけておけば災害時でも誤った情報に翻弄されずにすみます。一人ひとりが普段から防災に関する正しい知識や情報を知っておくことも大切だと感じています。