東日本大震災から10年 いま伝えたい想い
セーブ・ザ・チルドレンの「子どもまちづくりクラブ」(岩手県陸前高田市)に参加。2014年12月20日・21日宮城県岩沼市で開催された第3回「世界の防災に向けて、私たちが伝えたいこと」ワークショップなど、より良い防災に向けた活動に参加。現在は都内メーカー勤務。
小さいころから「将来は国際協力の仕事に就きたい」と漠然と考えていました。セーブ・ザ・チルドレンのことも活動に参加する前から知っていました。震災が起きて、自分も何かしたい、と思っていたときに学校で配られたチラシでセーブ・ザ・チルドレンの活動のことを知りました。2011年8月に青森で開催された「子どもまちづくりリーダーツアー」(*1)に中学2年生のときに参加したことがきっかけです。
以来、「子どもまちづくりクラブ」(*2)の活動に月に2~3回程度、高校2年生の途中まで参加しました。
「子どもまちづくりクラブ」のメンバーと仮設商店街内に復興のシンボルとしてのモニュメント、「『ミニ』あかりの木」(*3)を自分たちで企画・デザインし、制作したことです。子どもからお年寄りまで、誰でも団らんできるあたたかい場所をつくりたいという皆の思いから生まれ、陸前高田を照らすシンボル「あかり」となるように―という願いが込められています。
まちづくりクラブのような、学校も年齢も違う子どもたちが定期的に集まって、何かの活動を一緒にしたり、意見を交換したりできる場があって本当に楽しかったです。また、陸前高田の市長に私たちの要望をまとめた意見書を提出したことや、防災のワークショップで意見を発信したことも印象に残っています。
市長に意見書を持って行ったときは、熱心に私たちの話を聞いてくれて、子どもが行政にも意見を伝える機会があったことがとてもよかったと感じています(*4)。それから、2014年12月に宮城県岩沼市にて実施された第3回「世界の防災に向けて、私たちが伝えたいこと」ワークショップでは、“もし私が総理大臣だったら”と、世界の防災に向けて声を上げました。ビデオメッセージでは「情報発信の場をつくる。子どもが意見、思いを伝えることで子どもは成長し心のケアになる、子どもの意見で世界を変えよう」と発言したことも覚えています。(*5)
当時私たちの活動をサポートしてくれたセーブ・ザ・チルドレンのスタッフや国内外から支援のために駆けつけてくれたボランティアの人たちが、私たちに接する際とても丁寧で、いろいろなことに配慮してくれていたことを子どもながらに感じていました。
将来国際協力の仕事に就きたいという思いが強くなった一方、ただなりたいだけでは務まらない仕事だということに気づかされました。高い専門性や相手に共感する力など、国際協力をするうえで必要なスキルはたくさんあると思います。現在は国際協力の仕事からは少し離れていますが、経験を積んで必要なスキルを身につけ、いつか夢を実現できればうれしいです。
震災が起きるまでは、まさか自分たちの家や地域が被災するなんて考えたこともありませんでした。でも現実は違った。被災するかもしれないという前提で事前に防災の情報を知っていたら、もしかしたら助かった命があったかもしれません。すべて大人に判断を委ねるのではなく、子どもたちが事前に防災に関する情報や知識を持つことで、大人がいなくても子どもたち自身で状況にあわせて判断し自分の身を守る行動をとれるようにすることが重要だと思います。
それから、私自身は被災の影響がそこまで大きくなかったのですが、まちづくりクラブのメンバーのなかには家などが被災した子たちもいました。被災の影響が小さかった私が、被災の影響を大きく受けている他のメンバーの前で意見を言ったりしていいのだろうか、と当初葛藤もありました。でも、まちづくりクラブのような場で被災の度合いに関係なく意見を交換することで、次第にいろいろな気持ちが整理されて心が穏やかになっていくことに気づきました。だから、まちづくりクラブのようなさまざまな環境のなかにある子どもたちが、安心して意見を伝えられる居場所の存在はとても大きく、話すことで子どもの心のケアになるのかなと感じています。このような子どもの居場所が災害後に常にあったらいいなと思っています。