東日本大震災から10年 いま伝えたい想い
岩手県宮古市出身。セーブ・ザ・チルドレンが開催したワークショップ「世界の防災に向けて、私たちが伝えたいこと!」などに参加。現在はNPO法人プラス・アーツに勤務する。
私は、中学2年生の時に震災を経験しました。地震の翌日避難所から父と歩いて祖父母宅に向かう途中、国道の中央に家が流れ着いていたり、家に丸太が刺さっていたり、そのような光景を目にしたときの衝撃を今でも覚えています。自然の恐ろしさを目の当たりにし、中学3年生の頃から漠然と、何かまちの役に立ちたいと思っていました。
その後、米国大使館や民間企業などが共同で日米の若者を支援するために実施したアメリカでのまちづくりのプログラムに3週間程度参加したのですが、アメリカで出会った大人や同世代の子どもたちに触発されて、まちづくりについて、もっといろいろな人の考えを知りたいと思うようになりました。
そんなとき、通っていた高校の掲示板で、セーブ・ザ・チルドレンの「第2回『世界の防災に向けて、私たちが伝えたいこと!』ワークショップ」(*1)があると知り参加を決意しました。
一番印象に残っているのは、同年代の参加者と夜通し語り合ったことです。当時、被災した若い世代のことを「(後世に伝える)責任がある世代」と認識するような世間の風潮に違和感を抱いていたので、そのことについて話をしたことも覚えています。自分とは違う考え方や経験を持つ参加者との交流は良い刺激になりました。
また、ワークショップのなかで「もし私が総理大臣になったら?」という発表(*3)のときに、私は「防災があたり前な世界『守ることのできる命を、もう二度と失わないために』」というスローガンを掲げました。
震災後、周囲の大人が「逃げなかったから-」などと話しているのを聞いたときに、助かった人がいた一方で、助からなかった人がいたという事実についてあらためて考えさせられました。防災がより日常に浸透していれば、守ることのできる命を失わずにすんだのではないかと思わずにはいられず、そのことがずっと心に残っていました。
被災による死者・行方不明者数が報じられ、地区によっては過去の災害と比較して減災したと言われることもありましたが、「0」でないことに変わりはありません。私にとっては、身近な人も含まれた数でした。必ず、「0を目指さなければいけない」という思いで、防災を訴えたことを覚えています。
セーブ・ザ・チルドレンをはじめさまざまな団体や企業の防災、まちづくりの活動に参加するなかで、「防災をあたり前の世界に」という思いが強くなり、その思いを実現したいと考えるようになりました。
「やらなくてはいけないから」取り組む防災ではなく、小さい子どもでも楽しく、「やりたいから」取り組む防災を実現させようと思ったのです。そうした思いを、さまざまな場で訴え続けた結果、高校3年生の時、企業や周囲の人とのかかわりのなかで、防災について伝える紙芝居の企画を実現させることができました。
今は、NPO法人プラス・アーツの職員として、防災プロジェクトを企画しています。プラス・アーツは、セーブ・ザ・チルドレンと東日本大震災の教訓を盛り込んだ子ども向け防災教育教材「とっさのひとこと」(*4)をはじめとする防災関連の教材などを一緒に開発したこともあります。
私は、現在、高校生と一緒に防災に関する小学生向けの教材を開発するプロジェクトに携わったり、企業向けの防災マニュアルの開発を進めたりしています。自分の想いを実現できる仕事に携われていることに、大きなやりがいを感じています。
自然災害が発生したときの対応も重要ですが、やはり日常からの備えが大切です。防災を「やらなくてはいけない」「難しい」ものとして捉えるのではなく、少しだけ視点を変えて日常生活を見直すことが重要だと考えています。
たとえば、普段から持ち歩くハンカチを少し大きくするだけで、災害発生時にマスクとしても活用ができますし、部屋のなかを見回して重たいものを上に置かないようにするだけでも、防災につながると思います。日常に防災の視点が取り入れられた社会、防災があたり前の世界が実現されれば良いなと思っています。