東日本大震災から10年 いま伝えたい想い
セーブ・ザ・チルドレン・ジャパンの「子どもまちづくりクラブ」(宮城県石巻市)に参加。東北子どもまちづくりサミットなどのイベントにも参加。現在は大学4年生。
2011年8月に、セーブ・ザ・チルドレンが青森県で開催した「子どもまちづくりリーダーツアー」(*1)に母に勧められて参加したことがきっかけです。当時中学1年生でしたが、セーブ・ザ・チルドレンのことは、震災後の学校給食で野菜ジュースを提供してくれたと学校のお便りで読んで知っていました。
私は、人前で意見を言ったり、グループで話し合ったりすることが苦手だったので、最初はまちづくりクラブの活動をしんどいな、と思うときもありました。それでも隔週で半日程度参加していくうちに、意見を言うことにも慣れてきて楽しくなりました。
「石巻市子どもセンター らいつ」(*2)には特に思い入れがあります。「らいつ」をつくるときに施設のレイアウトや壁紙の素材、色まで納得がいくまで皆と話し合いました。当時専門家の方が私たちの企画やデザインにアドバイスをしてくれたのですが、私たちが「こうしたい」と思っても安全面や法律面などから企画やデザインを修正する必要が出てきて、改めて内容を話し合うときに、意見がまとまらず大変なときもありました。だから完成したときは、本当にうれしかったです。
「らいつ」には明かりや光を表す「ライト(light)」と子どもの権利を表す「ライト(right)」の2つの意味が込められています。特に子どもの権利については「らいつ」の条例前文(*3)でも少し触れられています。この条例前文も「子どもまちづくりクラブ」のメンバー皆で考えました。このような難しい文章を作成することはとても苦労しましたが、途中でお菓子を食べたりして息抜きしながら、最後まであきらめずに考えました。とても良い思い出です。
自分で何かしたいと思ったら自分から行動を起こすことができるようになったと思います。
人前で話すことに抵抗がなくなったこと、そしていろいろな面で自信がついて自分がやりたいと思ったことを積極的に、自分から行動を起こせるようなったと思います。
震災当時、海外からも大勢のボランティアの人たちが来て支援してくれました。以前から漠然と英語に興味はありましたが、海外の人たちと直接英語で会話する機会が増えてからは、「英語を話せるようになりたい」「海外の人たちと交流したい」と強く思うようになりました。そこで中学3年生のときはニュージーランドに、高校生のときはフィジーにそれぞれ短期で留学しました。
大学生になってからも、ドイツや韓国などに短期留学し、現地の歴史や政治、教育などを学ぶとともに現地の学生と話す機会もありました。現地の学生と意見を交換するときなどは、まちづくりクラブで培った「相手の話を聞き、そして自分の意見を伝える」という経験が本当に活かされていたと実感します。
英語が好きなので、将来は英語の教師になりたいと思っています。そして、「子どもまちづくりクラブ」のように、一人ひとりが主体的に意見を言える環境で、生徒たちの意見を聞いて、一緒に授業をつくっていけるような教師になりたいと思います。
震災を経験してから、人と人とのコミュニケーション、とくに近所の人たちとのつながりが大切だと感じるようになりました。片付けや復旧作業などは近所の人たちと協力しなければ進みませんし、今でも助け合いながら生活しています。
それから、「子どもまちづくりクラブ」のような、子どもが安心して意見が言えて、地域の復興に関われる場所も必要だと思います。私自身がそうだったように、最初は意見が言えなくても活動がきっかけで変わっていく子もいるはずです。子どもたちが活動を通して成長していく場所にもなると思っています。