東日本大震災から10年 いま伝えたい想い
福島県出身。2013年5月スイスのジュネーブで開催された第4回防災グローバルプラットフォーム会合や「東北子どもまちづくりサミット」などのイベントに参加。現在は都内の大学で勉強している。
福島県の沿岸部に住んでいたので、震災当時原子力発電所の事故の影響を受けました。しばらく地元を離れて自主避難をしていたときに、同じように福島県から来ていた友人がセーブ・ザ・チルドレンの活動のことを知っていて、一緒にイベントに参加しようと誘われたことがきっかけです。
それ以来、東北の子どもたちと提言書を作るワークショップや東北子どもまちづくりサミットなどのイベントにも何回か参加するようになりました。岩手県山田町や陸前高田市、宮城県石巻市の同年代の子どもたちが自分の意見を発表している姿を見て、私も「福島のことを伝えたい」「自分の気持ちを伝えたい」と思いました。
福島県では「子どもまちづくりクラブ」のような活動がなかったので、定期的に子どもたちが集まる機会はありませんでした。何度か子どもまちづくりサミットに参加した後、「自分たちも何か発表がしたい」とセーブ・ザ・チルドレンのスタッフに話しました。スタッフも、「ぜひやろう」と、全面的に応援してくれて、福島県からの参加者5人で当時私たちが問題だと考えていた福島県の現状を伝える内容の劇を考え、子どもまちづくりサミットで発表したことがとても印象に残っています。
当時、私は原子力発電所の事故によってコミュニティが分断されていると感じることがありました。個人で感じ方が異なるこのようなテーマで劇をまとめることは難しかったのですが、最終的には「子どもの権利」の観点から問題を提起するような内容にまとめました。
また、2013年5月にスイスのジュネーブで開催された第4回防災グローバルプラットフォーム会合(*1)もとても印象に残っています。皆の思いや願いがつまった提言書「東北の子どもたちの声~私たちの経験を世界の防災へ~」(*2)の内容を一人でも多くの人に伝えたくて、会議の参加者に積極的に声を掛けて一生懸命アピールしました。特に私は災害時の情報公開の改善や平等に保養に行ける機会の提供について訴えたかったので、他の参加者とともに提言書の文案を作成しました。
実はこの提言書の一部の内容について、会議本番前にある参加者から否定的な意見をもらい、悔しい思いもしました。しかし、私がスピーチをしたときには皆熱心に私の言葉を聞いてくれていたし、スピーチの後には握手や記念撮影を求められたりして、参加者と一瞬でも思いを通わせられたことがうれしくて涙が出ました。世界中の人が私のことを応援してくれていることを肌で感じ、一生忘れられない経験になりました。
セーブ・ザ・チルドレンの活動に参加するまで、「福島県出身・在住」ということで差別的な眼差しを向けられるのではないかと思い、福島県外の他人の前で意見を言うことはおろか、自分の出身地のことを話すことに抵抗がありました。でも、活動に参加するなかで私の存在や意見を受け入れてくれる人たちが大勢いることがわかり、自分の意見を発信することの重要性を改めて感じました。
その後、「高校生平和大使」になってジュネーブの軍縮会議に参加したり、大学でデンマークやオーストラリアに留学したりして、海外の学生たちと意見を交換するなど海外の人にも自分の体験や学びを伝えるようになりました。
災害の発生によって、これまで見えにくかったマイノリティの立場に置かれた人たちの存在や、災害の影響が深刻に及ぶ人たちのことが浮き彫りになるケースがあります。私も震災後、皆が外で遊んでいても外遊びを控えたり、食材を選ぶことも慎重になったり、周りの友だちとの違いを強く感じることがありました。社会の大多数の人たちと異なる立場に置かれた場合、精神的に不安を抱えたり、孤独感や恐怖感を抱いたりすると思います。だからこそ災害後は「自分が自分らしくいられる」場所の存在が重要だと思っています。学校でも自宅でもない、「子どもまちづくりクラブ」のような「第3の場所」で、そうした気持ちから解放され、自分を取り戻すことができる子どもたちもいるのではないでしょうか。
大学卒業後は報道関係の道に進むことが決まっています。自分の意見を言えず孤独感を感じているような人たちの声となり、彼ら・彼女らの代弁者として社会に訴えかけていけるような存在になれたらいいなと思っています。