東日本大震災から10年 いま伝えたい想い
山田町「子どもまちづくりクラブ」メンバーが企画・デザインをした山田町ふれあいセンター「はぴね」のセンター長を務めた。現在は、山田町教育委員会事務局生涯学習課文化係に所属する。
震災当時、私は山田町の健康福祉課に所属し、主に災害派遣の医療関係者との情報共有や支援の調整などを担当していました。そのため、震災直後はセーブ・ザ・チルドレンとの直接の関わりはありませんでした。しかし、他の担当者がセーブ・ザ・チルドレンのスタッフといろいろと支援の調整などをしていることは知っていました。
その後、再任用職員として生涯学習課で勤務することになり、山田町の「子どもまちづくりクラブ」(*1)のメンバーが企画・デザインをした山田町ふれあいセンター「はぴね」(*2)で、初代センター長に就任することとなりました。
「ふれあいセンター」には、子どもたちの「全世代の人たちが利用でき、憩い、学び、交流の場になってほしい」との願いが込められています。山田町は、その願いが施設完成後も引き継がれるよう「山田町ふれあいセンター条例前文」(*3)を制定しました。
条例前文には、子どもたちの4つの願い「私たちは全世代が利用できる場となることを願います。」「私たちは憩いの場になることを願います。」「私たちは学べる場となることを願います。」「私たちは交流の場となることを願います。」がすべて入っています。子どもたち自身が考えてまとめてくれた、この4つの願いに本当に感動しました。
また、当時の天皇皇后両陛下が「ふれあいセンター」を訪問された際に、子どもたちが堂々と施設の説明をしていて、とても感激したことも覚えています。
今でも子どもたちの4つの願いが運営の理念として引き継がれ、地域の人たちからは「はぴね」の愛称で親しまれています。「はぴね」という呼び名は、山田町の子どもまちづくりクラブのメンバーが名称の候補を考え、町内の学校の協力も得ながら、子どもたちによる投票で決めた愛称ですが、「幸せ(ハピネス)」という言葉がもとになっていると聞いています。
館内は、子どもたちの多彩なアイデアがたくさん盛り込まれています。たとえば、「ほこら」と呼ばれる、押入れのようなスペースがあるのですが、子どもならではの遊び心が感じられます。
また、館内は、壁の色で騒いでもよい部屋と静かな部屋に分かれています。図書館は通常「静かにすること」が基本ですが、ピンク色の壁の児童図書コーナーでは、友人たちと、にぎやかに楽しく過ごすこともできます。一方、水色の壁の一般図書室は、静かに集中して読書や勉強ができるように空間が仕切られていて、用途に合わせ誰もが利用しやすいよう工夫がなされています。子どもたちが企画・デザインすることで、大人の発想だけではできなかったスペースが生まれ、楽しみながら本を読み、借りていく人たちの姿を、いつも見ることができます。
ほかにも食事がとれる場所や、ゆったりできる畳の小上がりスペース、乳幼児のためのスペース、中庭などもあり幅広い年齢層が利用しています。
大規模な自然災害の発生後、行政はどうしても道路や上下水道の復旧といったインフラの整備を優先することになりますが、実際は、そのようなインフラだけでなく「ふれあいセンター」のような皆が安心してゆっくりと過ごしたり、交流したりできる場所、地域の人たちのこころの健康が保てる場所も必要です。山田町では、震災で笑顔を失った人たちが、「ふれあいセンター」を通じて笑顔を取り戻してくれました。
しかし、行政だけではこうしたプロジェクトを進めていくのは難しいのが現状です。セーブ・ザ・チルドレンのような団体と連携しながら、地域の人たちに「笑顔を届ける」支援をしていくことが重要だと考えています。
「ふれあいセンター」は、まちの復興拠点エリアで最初に完成した建物です。今後も地域の多くの人たちの笑顔があふれる場所になればいいと思っています。