東日本大震災から10年 いま伝えたい想い
陸前高田市の「子どもまちづくりクラブ」のメンバーが当時の仮設商店街「高田大隅つどいの丘」内につくったモニュメント、「『ミニ』あかりの木」。「高田大隅つどいの丘」商店街は大規模改修され新たに「たまご村」として生まれ変わったが、現在もたまご村で「カフェフードバー わいわい」を経営しながら、たまご村の村長として「『ミニ』あかりの木」を管理している。
震災後、私は、ある子育て支援NPOに店の一部を貸していました。セーブ・ザ・チルドレンはそのNPOと子ども支援でつながっていたので、そのときにセーブ・ザ・チルドレンのことを知りました。
また、陸前高田市の「子どもまちづくりクラブ」(*1)も参加した、「東北子どもまちづくりサミット」(*2)に地域の人たちも呼ばれ、私は、2011年の第1回目から何回か参加しました。そして、「『ミニ』あかりの木」(*3)の制作が決まってからは、1ヶ月に1回から2回程度、定期的に子どもたちと話し合ったり、制作を手伝ったりもしました。
「東北子どもまちづくりサミット」で陸前高田市をはじめ山田町、宮城県石巻市の子どもたちがまちづくりに関する「夢」を熱く語っている姿はとても印象的でした。
震災後多くの人たちが仮設住宅に住み、遊んだり集まったりする場所が少なくなったことから、「陸前高田市を照らし、みんなが集えるシンボルを作りたい」との子どもたちの発表を聞き、胸が熱くなりました。一方で、子どもたちの「夢のまちプラン」を「夢」のままで終わらせてはいけないとも思いました。
だから、あるサミットの休憩時間中に子どもたちに「10年かかっても完成できないくらい大きなものをつくるより、小さくても、自分たちの手で完成できるものに挑戦してみたらどうか」とアドバイスしました。
ちょうど、仮設商店街に公園を設置するためのスペースとして準備されていた場所があったので、「夢のまちプラン」の一つである陸前高田を照らすシンボルモニュメントの設置に、そこを使ったらどうかと提案しました。その後、スペースの都合で当初考えていたモニュメントより小さく制作することが決まり、「『ミニ』あかりの木」となりました。
今でも地域になくてはならないシンボルです。仮設商店街「高田大隅つどいの丘商店街」は2012年6月にオープンし、飲食店や学習塾など13軒が入りました。「『ミニ』あかりの木」は同じ年の9月に完成し、当時から子どもたちの願い通り地域を明るく照らしてくれる存在でしたが、今でもその存在は変わっていません。
仮設商店街は、一時的なもので、国の支援が終わる2018年9月までに撤去をするか、譲り受けるかを決める必要がありました。震災当初は、市街中心地に店を再建しようと考えていましたが、自分の年齢と残りの借金を考えるとなかなか一歩が踏み出せず、仮設の建物を譲り受けることにしました。
そして、仮設商店街を、お店が集まった「商店街」という形を超えて、飲食店や福祉サービス、NPO団体、働く世代や高齢者、子どもたちなど、いろいろな分野の人が集まって、温めあって成長し、さまざまな形を生み出していく地域の拠点となるような場所にしたいと考え、クラウドファンディングで資金を集め、大規模改修をして「たまご村」を立ち上げました。
「たまご村」の「たまご」という名前の背景には2つの理由があります。1つは起業や創業をするために活動する人たちを支援するインキュベーション(卵などがふ化するという意味の英語)施設をイメージしたこと。2つめは、「『ミニ』あかりの木」のモニュメントが卵に見えることから名付けました。子どもたちはまつぼっくりのつもりで制作したのですが、卵としても親しまれています。現在、飲食店のほか、介護関連の福祉施設やNPO団体などさまざまな分野のテナントが10軒ほど入っています。
東日本大震災のとき、被災地支援のため数多くの非営利組織が立ち上がりました。しかし、それぞれの団体がバラバラに動いている印象があり、本当に支援が必要なところに必要な支援が届いていないと感じていました。国も行政も、営利組織も非営利組織も、もっとお互いうまく連携していかなければ、今後大都市圏で災害が起こった際にはさらに混乱状態に陥るのではないかと懸念しています。
今後、高い確率で大地震が起こると予測されているような地域では、あらかじめ行政を含む多様なセクターが、どのような支援や連携をするのか話し合い、準備しておくことが重要だと思います。たまご村には、他県の行政関係者も視察に来ます。今後他県で同様に大規模な災害が起きたら協力できることは何か、今から情報交換をしながら交流を深めています。