モンゴルの最北東ドルノドから報告します(2011.9.12)
日本の皆さま、こんにちは。モンゴルのドルノド事務所で現地コーディネーターをしていますバイガルマ―と申します。
上の写真右が私です。ドルノド事務所は、運転手と会計担当の3人体制です。今回は私から、ドルノド県におけるセーブ・ザ・チルドレンの活動の様子をお届けしたいと思います。
ドルノド県は、首都ウランバートルの東約500kmに位置し、ロシアと中国の2つの国との国境を持つ唯一の県です。
その昔この県内で採掘されたウランを運搬する目的で鉄道が建設されましたが、その鉄道が県都チョイバルサンから首都ウランバートルではなく、ロシアに向かってつながっている状況が象徴しているように、昔からロシアとのつながりが大変深い県です。そのため1990年の市場経済化以降、多くの家族が職を失い、ストリートチルドレンが生み出されてしまいました。
私は、このドルノド事務所で2002年から仕事をしています。ストリートチルドレン、労働を課される子ども、遊牧民家庭の子ども、障害を持った子ども、虐待の被害にあった子どもなど、多くの子どもたちの保護、権利の実現に向けて、地域関係者の協力を得ながら活動に取り組んできました。
私はいつも、子どもたちから新鮮な刺激を受けています。子どもたちの世界に身を置くことで、私自身が学び、成長しています。
以前、労働を課される子どもたちのための事業スタッフをしていたときのことです。子どもたちがお互いのことをよく知り、もっと仲が良くなるためにはどんな活動をしたらよいだろうと考え、モンゴルの子どもたちにとても人気のある、バスケットボールの大会をすることに決めました。体育館を予約し、チームを決め、準備万端で当日を迎えました。しかし、大会を始めてみると、子どもたちはボールを抱えたまま、走り出してしまったのです。実は、参加した9〜15歳の子どもたちは、バスケットボールのルールを知らなかったのです。そのとき、一人の男の子から言われた言葉を、今もはっきりと覚えています。
「先生、バスケの大会をするのはいいけど、まずはじめに、バスケをどうやってするのかを教えてくれたら、もっとおもしろくなったんじゃないかなぁ」
私はこの言葉を聞いて、自分がとても恥ずかしくなりました。子どもたちのためにと思って企画した活動は、実は、自分だけの考えで一方的に決めてしまったものだったのです。
それからは、どんな活動でも、必ず子どもたちの声を聞いて計画を立てるようになりました。
今まで、多くのプロジェクトに関わりましたが、最も思い出深いのは、2008年から2011年にかけて実施した「子どもの権利実現のための暴力のない公平な教育環境推進」事業(*)です。特に生徒会への支援によって大きく成長した子どもたちや、それを支える先生や学校が大きく変わったことは忘れることができません。
例えば、ドルノド県内のツァガーンオボー郡の学校の生徒は、生徒会役員を選挙で選出する取り組みを、初めて行いました。今までは、成績の良い生徒や、親が政治家であるなどの理由により先生が役員を指名をしていましたが、この時は、「生徒会で活動したい!」という強い思いを持った生徒たちが立候補しました。選挙活動中は、「生徒の権利の実現」または「生徒の利益の優先」といった公約を掲げて、生徒、教員、保護者に訴えました。そして、女子生徒のムングンツェツェグさんが最も多くの票を獲得し、生徒会長として選出されました。下の写真左がムングンツェツェグさんです。
その後、彼女が中心となって活動した生徒会は、着実に学校を変えていきました。特記すべき新しい活動は、「毎週木曜日の生徒と先生との意見交換の日」です。これによって、生徒から出された意見・要望を、担任の先生だけではなく、校長先生へも願書として届け、学校生活における問題を迅速に、効率的に解決できるようになりました。
これは、子どもたちの持つすばらしい力が、大人や学校を変えたとても良い事例だと思います。この事業は9月に終了しますが、ここで芽生えたすばらしい変化が、今後も大きく成長していくようドルノドでがんばっていきたいと思っています。
ドルノドからバイガルマ―より
(*)この事業は、国際協力機構(JICA)の助成を受けています。