(公開日:2024.10.24)
【パレスチナ・ガザ地区】中部の避難所に暮らすソマイヤさん(7人の子どもの母親)のストーリー
- ガザ
ソマヤ(37歳)さんは、5人の娘と2人の息子の子どもの母親です。一家はガザ地区北部のイスラエルとの国境地帯に住んでいましたが、2023年10月7日に始まった紛争の開始直後に強制的に移動させられ、現在は中部の避難所にあるテントに暮らしています。ソマイヤさんの1歳4ヶ月の息子アリさんは重度の栄養不良を患っています。以下は2024年9月9日、ソマヤさんの証言の記録です。
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私はガザ中部に逃れ、子どもたちと夫とテントで暮らしています。私には5人の娘と2人の息子がいます。それぞれ、19歳、17歳、13歳、11歳、9歳、6歳と1歳4ヶ月です。朝起きると布団を片付け、それから拾ってきた厚紙や木に火をつけて朝食を作ります。そのあと、子どもたちの服を洗濯して床を掃きます。(※避難所の様子はこちらの動画からご覧いただけます)
2023年10月、紛争が始まる以前の私たちの生活は、今よりはるかに良かったです。水も、必要なものは全てありました。しかし、今は手に入れること全てが難しいと感じています。水はどこかから運ばなければならないし、洗剤も食べ物も飲み物も、全てのものの値段が高く、とても手に入りません。
また、子どもたちは空爆の音を聞くと、とても怖がります。娘は怖くて震え続けています。子どもたちは、以前は笑ったり、遊んだり勉強したりしていました。しかし、今は無気力で、とてもつらい生活を送っています。私は子どもたちを安心させようと、「空爆はいつものことだよ」と言い聞かせ、別の話をして恐怖から気をそらすようにしています。それが少しは役に立ち、時々笑って空爆の音を忘れてくれるときがあります。でもやはり、どこかで空爆の音が聞こえると、私の周りに集まってきて座ります。笑ってごまかす子もいれば、怖がる子もいます。ただ座っているだけの子もいます。
子どもたちは、この1年学校に通えていません。私はペンやノートをもって、勉強するように促すのですが、勉強をしたい子もいれば、したくない子もいます。昔は学ぶことがとても好きだったのですが、今は集中できていません。また、以前は娯楽のためにいろいろな場所に出かけられましたが、今はテント以外に居場所はありません。祖父母の家を訪ねたり、勉強したり、芸術にも興味がありました。学校の友人を訪ねることもできました。しかし、今はテントしかありません。一体どこに行けばいいというのでしょうか?
この夏はとても暑く、暑くなると木陰に座りますが、それでもとても暑いです。以前は自宅に扇風機がありましたが、今は何もありません。そして、残念なことに、この場所のこうした生活に今は慣れつつあります。これが私たちの運命なのかもしれません。
一番下の息子アリは、1歳4ヶ月で栄養不良です。同じ歳の頃、この子のきょうだいは、よく歩き、よく食べていましたが、アリは歩けません。病院に連れていき診察を受けたところ、骨が非常に脆くなる骨軟化症だと診断されました。CT検査を受けましたが、医者は「この子には、ただ栄養が必要だ」と言いました。この年頃の子どもの体重は、少なくとも10kgあるはずですが、アリは6kgしかありません。アリは栄養不良の結果、骨が弱くなり、歩くことも椅子に座ることも、立つことも這うことさえできないのです。私が抱きあげなければ、どこにも行けません。彼にとって大変な生活だと思います。
アリには、支援物資で届いたレンズ豆などを与えています。しかし、食べたくないと拒否することもあります。そうなると、ザータル(乾燥させたタイム)とパンぐらいしかありません。この年頃の子どもには栄養が必要です。しかし、今は何も手に入りません。とにかく、野菜も果物も肉もとても高いのです。ビスケットでもジャガイモでも、卵でも何でも食べさせなければならないのに。この子のきょうだいにはリンゴやバナナを与える余裕がありましたが、この子には果物も与えられません。とにかく何もありません。
北部にあった家はすべて破壊され、何も残っていません。自宅もありません。自宅の庭の木も...何もかも失ってしまいました。どの家も跡形もありません。家だけではありません。学校も保育園も、何もないのです。
私の近所の人たちは、かなり早い段階で逃げ出しました。私たちも10月7日、紛争が始まってからすぐに強制的に追い出されましたが、もう1年が経ってしまいました。しかし、この紛争に、希望や終わりはないようです。残念なことに、私たちはこうした生活にも慣れてしまいました。ただ、これからどうなるのか、わかりません。
もう家はなくなってしまいましたが、紛争が終わって、家に帰って落ち着くことができることを願っています。子どもたちは、かつて家があった北部の地域に帰れるかどうかをとても知りたがっています。私たちが暮らしていた北部は、自然が多く田舎だったので、今のように人がたくさんいる場所には皆慣れていません。このあたりの公共交通機関の騒音はひどく、空気も悪いです。子どもたちはかつて、木が多い家の周りで遊んでいたので、紛争が終わったら北部に戻って、落ち着いて過ごせるような場所、鳥のさえずりしか聞こえないような誰もいない場所にテントを設置して、そこで昔のような暮らしに戻れることを祈っています。
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セーブ・ザ・チルドレンは、子どもたちの精神保健・心理社会的支援1 の活動や、食料配布などの活動を実施しています。しかし、ガザ地区北部への支援のアクセスが2024年10月から再び閉ざされ、40万人が孤立していると言われています。また、ガザの人口の4割を占める子どもたちへの支援の要望はとても高く、ガザ地区全土で支援が不足しています。安全に、安心して子どもたちが暮らせるようになるために、即時かつ恒久的な停戦が求められています。
海外事業部:金子由佳
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私はガザ中部に逃れ、子どもたちと夫とテントで暮らしています。私には5人の娘と2人の息子がいます。それぞれ、19歳、17歳、13歳、11歳、9歳、6歳と1歳4ヶ月です。朝起きると布団を片付け、それから拾ってきた厚紙や木に火をつけて朝食を作ります。そのあと、子どもたちの服を洗濯して床を掃きます。(※避難所の様子はこちらの動画からご覧いただけます)
2023年10月、紛争が始まる以前の私たちの生活は、今よりはるかに良かったです。水も、必要なものは全てありました。しかし、今は手に入れること全てが難しいと感じています。水はどこかから運ばなければならないし、洗剤も食べ物も飲み物も、全てのものの値段が高く、とても手に入りません。
また、子どもたちは空爆の音を聞くと、とても怖がります。娘は怖くて震え続けています。子どもたちは、以前は笑ったり、遊んだり勉強したりしていました。しかし、今は無気力で、とてもつらい生活を送っています。私は子どもたちを安心させようと、「空爆はいつものことだよ」と言い聞かせ、別の話をして恐怖から気をそらすようにしています。それが少しは役に立ち、時々笑って空爆の音を忘れてくれるときがあります。でもやはり、どこかで空爆の音が聞こえると、私の周りに集まってきて座ります。笑ってごまかす子もいれば、怖がる子もいます。ただ座っているだけの子もいます。
子どもたちは、この1年学校に通えていません。私はペンやノートをもって、勉強するように促すのですが、勉強をしたい子もいれば、したくない子もいます。昔は学ぶことがとても好きだったのですが、今は集中できていません。また、以前は娯楽のためにいろいろな場所に出かけられましたが、今はテント以外に居場所はありません。祖父母の家を訪ねたり、勉強したり、芸術にも興味がありました。学校の友人を訪ねることもできました。しかし、今はテントしかありません。一体どこに行けばいいというのでしょうか?
この夏はとても暑く、暑くなると木陰に座りますが、それでもとても暑いです。以前は自宅に扇風機がありましたが、今は何もありません。そして、残念なことに、この場所のこうした生活に今は慣れつつあります。これが私たちの運命なのかもしれません。
一番下の息子アリは、1歳4ヶ月で栄養不良です。同じ歳の頃、この子のきょうだいは、よく歩き、よく食べていましたが、アリは歩けません。病院に連れていき診察を受けたところ、骨が非常に脆くなる骨軟化症だと診断されました。CT検査を受けましたが、医者は「この子には、ただ栄養が必要だ」と言いました。この年頃の子どもの体重は、少なくとも10kgあるはずですが、アリは6kgしかありません。アリは栄養不良の結果、骨が弱くなり、歩くことも椅子に座ることも、立つことも這うことさえできないのです。私が抱きあげなければ、どこにも行けません。彼にとって大変な生活だと思います。
アリには、支援物資で届いたレンズ豆などを与えています。しかし、食べたくないと拒否することもあります。そうなると、ザータル(乾燥させたタイム)とパンぐらいしかありません。この年頃の子どもには栄養が必要です。しかし、今は何も手に入りません。とにかく、野菜も果物も肉もとても高いのです。ビスケットでもジャガイモでも、卵でも何でも食べさせなければならないのに。この子のきょうだいにはリンゴやバナナを与える余裕がありましたが、この子には果物も与えられません。とにかく何もありません。
セーブ・ザ・チルドレンの診療所にアリさんの栄養状態を調べに来るソマヤさん
(2024年9月セーブ・ザ・チルドレンの診療所にて)
(2024年9月セーブ・ザ・チルドレンの診療所にて)
北部にあった家はすべて破壊され、何も残っていません。自宅もありません。自宅の庭の木も...何もかも失ってしまいました。どの家も跡形もありません。家だけではありません。学校も保育園も、何もないのです。
私の近所の人たちは、かなり早い段階で逃げ出しました。私たちも10月7日、紛争が始まってからすぐに強制的に追い出されましたが、もう1年が経ってしまいました。しかし、この紛争に、希望や終わりはないようです。残念なことに、私たちはこうした生活にも慣れてしまいました。ただ、これからどうなるのか、わかりません。
もう家はなくなってしまいましたが、紛争が終わって、家に帰って落ち着くことができることを願っています。子どもたちは、かつて家があった北部の地域に帰れるかどうかをとても知りたがっています。私たちが暮らしていた北部は、自然が多く田舎だったので、今のように人がたくさんいる場所には皆慣れていません。このあたりの公共交通機関の騒音はひどく、空気も悪いです。子どもたちはかつて、木が多い家の周りで遊んでいたので、紛争が終わったら北部に戻って、落ち着いて過ごせるような場所、鳥のさえずりしか聞こえないような誰もいない場所にテントを設置して、そこで昔のような暮らしに戻れることを祈っています。
テントの中にいるソマヤさんと子どもたち(2024年9月ガザ中部の避難所にて)
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セーブ・ザ・チルドレンは、子どもたちの精神保健・心理社会的支援1 の活動や、食料配布などの活動を実施しています。しかし、ガザ地区北部への支援のアクセスが2024年10月から再び閉ざされ、40万人が孤立していると言われています。また、ガザの人口の4割を占める子どもたちへの支援の要望はとても高く、ガザ地区全土で支援が不足しています。安全に、安心して子どもたちが暮らせるようになるために、即時かつ恒久的な停戦が求められています。
海外事業部:金子由佳
1 セーブ・ザ・チルドレンでは、ガザの子どもたちの精神保健を調査しています。詳しい情報は以下「Trappedand Scarred: The compounding mental harm inflicted on Palestinian children inGaza」Save the children2024をご参照下さい。