(公開日:2012.02.16)
チャイルドセンターチームリーダー・オユンマーより(2012.2.16)
- モンゴル
日本の皆様こんにちは。
モンゴル事務所・チャイルドセンターのチームリーダーを務めるオユンマーです。以前紹介しましたムンフブル(2011年2月1日で紹介)が退職し、2011年4月に後を引き継ぎました。大変な仕事ですが、センターの運営方針を考え、子どもたちとその家族の支援計画を立て、スタッフを取りまとめるなど、全体をまとめる立場に立てて大変うれしく思っています。
オユンマー
リーダーとしての経験はまだ1年にもなりませんが、セーブ・ザ・チルドレンとの関わりは2001年からです。2003年の終わりから2006年までは、チャイルドセンターのソーシャルワーカーとしても働いていました。 これまでのセーブ・ザ・チルドレンでの経験を振り返るとき、障がいを持ったある1人の女の子のことは忘れることできません。この経験は、子どもを救う仕事を目指している私に、何を配慮しなければならないのか大きな示唆を与えてくれました。
セーブ・ザ・チルドレンは1998年から、障がいを持つ子どもに対する教育支援事業を開始しました。主な活動は、障がいがあるために教育を受けられない子どもが、普通学校へ入学できるよう制度確立に向け啓蒙活動を行ったり、家族の会を設立したり、地域リハビリセンターの設立・運営をするなど、多岐にわたりました。セーブ・ザ・チルドレンは、4つの県と首都圏数か所に「地域リハビリセンター」を設立し、私はその1軒のセンター長を、2006年から2008年まで務めていました。
セーブ・ザ・チルドレンの設立した「地域リハビリセンター」
センターの位置する地区には、重度の障がいを持ち、幼稚園や学校に通うことも、治療やリハビリなどの適切な医療サービスを受けることもできない子どもたちが30人もいることがわかり、センターで支援活動を始めました。そして、その女の子と出会いました。 私が出会った当時、両手足にまひがあり、10歳でしたが話すことができませんでした。両親は、地元の病院で治療を試みたのですが良くならなかったため、ウランバートルへ一家で引っ越しました。しかし、仕事も見つからず、結局良い治療を受けることはできないでいました。
私たちはその女の子に対し、様々な支援を始めました。まず、センターでの手話の学習や活動に参加するように促しました。さらに、SCの支援で設立された国立リハビリセンターで専門的なリハビリを受けられるようにしました。そして、特別養護学校へも入学することができました。
子どもたちの学習の様子 (地域リハビリセンターにて)
家族に対しても支援をしました。まず家族の会へ参加するように勧め、同じ悩みを持つ家族と悩みを分かち合えるよう精神的な支援をしました。また、国の社会保障が受けられるように、登録や申請書の提出を手助けしました。
こうした支援活動を続けてきたある日、いつものようにセンターに来た女の子が、突然、言葉を発したのです。スタッフ一同、とても驚きました。そしてすぐに、簡単な日常会話ができるまでになりました。両親は話せるようになった女の子を見て、涙を流して喜びました。
後でわかったことですが、女の子の身体的機能は全く問題がなかったということです。女の子が小さかった頃、両親をはじめ周りが話せないと思い込んでしまい、家に閉じこもりきりにさせてしまいました。その結果、人と話す機会がなく「話さなかった」のではないかということでした。私はこの経験から、身体的・精神的に障がいを持つ子どもは、親をはじめとする周囲の人々の思い込みや誤解などによって可能性を制限されることがあり、場合によっては、症状がさらに悪くなることがあるのだと実感しました。
チャイルドセンターに来る子どもたちは、精神的な傷を抱え身体的な障がいを持っていることが少なくありません。この子どもたちを救うためには、本人への支援と、親をはじめ周囲の養育責任者に対しての支援が重要です。その支援はただ単に「子どもに愛情を注いでください」という声かけだけではなく、子どもの身体的・精神的障がいに対しての、専門家による正しい診断に基づいた適切な助言や治療が受けられるような支援も必要であると思っています。
「地域リハビリセンター」での子どもたちの学習の様子
お母さんと男の子への食糧提供支援の様子
(報告:モンゴル事務所 オユンマー)