組織概要

企業とNGOのマネジメントの違いを学びました。
勉強の機会をいただいたと、すべてに感謝しています。

「企業文化」と「NGO文化」の間で悩みながらの運営

――長谷川さんは、セーブ・ザ・チルドレン・ジャパンが設立された翌年、1987年から運営に携わられていますね

長谷川恵一さん(以下、長谷川さん):そうです。前年に、当時大阪青年会議所の理事長だった更家悠介さん(サラヤ株式会社代表取締役社長)が国際婦人福祉協会と協働でセーブ・ザ・チルドレン・ジャパンを立ち上げました。翌年、立野純三さん(株式会社ユニオン代表取締役社長)が理事長に就任するときに、立野さんから声をかけていただきました。

――立野さんと一緒にセーブ・ザ・チルドレン・ジャパンの運営を始めた頃、理事会の役員は何人くらいいましたか。

長谷川さん:10人くらいだったのではないでしょうか。東京に4人ほど、大阪に6人か、7人いたと記憶しています。

長谷川恵一さん_1

――最初はどのような組織で運営されていましたか。

長谷川さん:当初は更家さんが、大阪青年会議所の中にセーブ・ザ・チルドレン・ジャパン事務局を立ち上げて運営していました。しかし、セーブ・ザ・チルドレンとしての支援活動にしっかり取り組んでいこうということで、大阪青年会議所から独立して運営するようになっていきました。

――運営されていて、どんなご苦労がありましたか。

長谷川さん:1995年前後だったでしょうか。活動資金の見通しが立たなくなってしまい、団体の存続が危機に直面したときに立野さんが私財を投入してくださったんです。それで活動を継続することができ ました。

立野さんは基本的に、事業についてはスタッフたちに任せていたのですが、我々理事たちとスタッフたちとの間で事業に対する考え方とか方向性に違いがあり、その調整に悩みましたね。

――事務局が大阪から東京に移転して(注:1991年東京事務所開設)。距離的に離れていたから大変でしたね。

長谷川さん:その当時は、頻繁に東京へ行っていました。

――どういったことが問題になっていたのでしょうか。

長谷川さん:我々理事と現場で活動するスタッフとの間で、ミッションに対する考え方に大きなギャップがあったことが、根本的な要因だと思っています。立野さんも私も経営者で、「企業の文化」に馴染んでいたので考え方が一致していましたが、それが「NGOの文化」では通らないんですよね。企業のマネジメントとNGOのマネジメントは違うんだなと、痛感しました。

「こだわるもの」が違うんですよね。
「ミッションに沿っていないので、そんなことはできません」みたいに言われることもありました。立野さんと私からすると、「すぐに決められることに、どうしてこんなに時間をかけなくてはいけないんだろう」と思うことも多かったです。でも、やはり現場で活動するスタッフの想いに寄り添いながら進めなくてはならないと思いましたね。

私はセーブ・ザ・チルドレンの活動が好きだったので、そういうことは苦にならなかったです。勉強の機会を与えていただいたと、本当に感謝しています。

支援のあり方を教えてくれた、ベトナムでの事業

――長谷川さんも海外の事業を担当していたそうですが、何ヶ国ぐらい行かれましたか。

長谷川さん:4ヶ国ですね。フィリピンとベトナム、ネパール、タイ。訪問はすべて自費で行きました。

長谷川恵一さん_2ネパールでの様子

――最も印象深かったのは、どんなことですか。

長谷川さん:いちばん衝撃的だったのは、フィリピンのスモーキー・マウンテンを見たときです。子どもたちがごみの山のなかにいた光景が、今でも目に焼き付いて離れません。空気が汚染されているので、みんな気管支炎になるわけです。極度の貧困のなかで生活しているので、栄養不良になっていました。

そこで、子どもたちに、職業訓練の支援を行うことにしました。しかし、当時のフィリピン政府の考えもあり、その事業を進めることはできませんでした。

その一方、同じくらいの時期に、セーブ・ザ・チルドレンUSAが、ベトナムの子どもたちの栄養改善事業を始めました。セーブ・ザ・チルドレン・ジャパンも似たような事業を独自に実施し、各家庭に、にわとりをローンで提供しました。にわとりが産んだ卵を食べて、栄養状態が改善されました。同時に、にわとりが2羽、3羽と増えていき、家庭が経済的に豊かになっていきました。

その後は、家庭菜園などの支援も展開していきました。これはすごいプロジェクトだと思いました。栄養不足は、子どもの成長にさまざまな影響を及ぼしますから、かなり力を入れていました。

日本の子どもたちの貧困問題解決に向けて

――日本では、7人に1人の子どもが相対的貧困下にあると言われています。そして、新型コロナウイルス感染症流行の影響もあり、収入がゼロになったり、少なくなってしまったりした家庭もあります。

長谷川さん:かつて日本は、一億総中流社会と言われていましたよね。それが、本当に変わってしまいました。海外の子どもたちの支援も大事ですが、ぜひ、今後も、日本に暮らす子どもたちの貧困問題解決に向けての活動もしていただきたいですね。子どもたちの今を守り、そして、子どもたちは、これからの未来をつくっていく人たちなので。

長谷川恵一さん_3

――本日は貴重なお話を聞かせていただき、ありがとうございました。

<プロフィール>

長谷川惠一さん(学校法人エール学園総長)

1969年同志社大学工学部卒業後、同年、九州松下電器株式会社入社。1970年株式会社青晃(学校法人エール学園の前身)に入社。1976年学校法人エール学園発足、同学園専務理事に就任。1983年同学園理事長に就任。2022年同学園総長に就任(現職)。1986年から2004年まで社団法人セーブ・ザ・チルドレン・ジャパン理事を務める。その後2015年3月まで公益社団法人セーブ・ザ・チルドレン・ジャパン顧問(2011年4月1日付で公益社団法人へ移行)。

(プロフィールは、2022年8月現在のものです。)

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