子どもたちへの強い想いがないと、続けられません。
なんとかしたいという、パッションがないと。
大阪青年会議所と国際婦人福祉協会のコラボレーション
――更家さんは、セーブ・ザ・チルドレン・ジャパン設立にとって重要な役割を担った方ですが、どのような経緯で設立が実現したのか教えていただけますか。
更家悠介さん(以下、更家さん):1985年、当時皇太子妃であった美智子さまから国際婦人福祉協会に、セーブ・ザ・チルドレン・ジャパン設立の提案があったそうです。しかしながら、国際婦人福祉協会だけでは難しいということで、日本青年会議所を通して、大阪青年会議所に話がありました。
その頃、私は海外出張中で日本にはいませんでしたが、日本青年会議所の事務局長から「国際婦人福祉協会からこんなお話がありますが、どうでしょうか」との連絡を受けました。その後、お話を伺って、社会的意義の大きい活動だと知り、ぜひやりましょうとお引き受けしました。
早速、大阪青年会議所の総会で提案して、全会一致で承認されました。1986年の3月に大阪青年会議所内に別事務局をつくって支援活動をするという決議をして、5月にその決議と事業計画策定をしました。チャリティーコンサートの開催や、タイに移動式図書館を寄贈したり、フィリピン・ギマラス島に学校を建てたりするという内容でした。私は当時、大阪青年会議所の理事長を務めていたので、組織を動かしていくことができました。
――国際婦人福祉協会の服部悦子さんも、立ち上げにかかわっていらっしゃいますよね。
更家さん:そうです。配偶者の服部禮次郎さんが日本青年会議所の会頭だったことから、国際婦人福祉協会と大阪青年会議所で一緒に取り組みましょうという流れになりました。
服部悦子さんは、セーブ・ザ・チルドレン・ジャパンの主要メンバーとして、支援活動に尽力してくださいました。国内のネットワークづくりにおいても随分、ご協力いただきました。大使館関係者の方々との知り合いが多いので、各国の大使やその配偶者、それだけでなく皇室とのかかわりもつくっていただいたり、寄付を募っていただいたりしました。
こうした方々とのつながりがあるのは、セーブ・ザ・チルドレン・ジャパンの強みだと思います。それがなければ、ここまで知名度は高くならなかったと思います。大阪青年会議所と国際婦人福祉協会が連携したのは、すごくよかったと思います。
――なぜ、青年会議所のなかでも、東京ではなく大阪青年会議所だったのでしょうか。
更家さん:東京青年会議所にも話があったと思いますが、当時、大阪青年会議所のほうが組織力が強くて活気があったのと、大阪青年会議所に、困難な状況にある子どもたちを支援するための「愛の手基金」があったのが大きいと思います。セーブ・ザ・チルドレン・ジャパン設立のお話をいただいたとき、ちょうど大阪青年会議所では、35周年記念事業に向けて、その基金を使った事業を検討中でした。それなら記念事業として、セーブ・ザ・チルドレン・ジャパン設立を支援するのがよいということになったんです。
私は、日本青年会議所への出向が決まっていて忙しくなったので、設立してすぐに、大阪青年会議所の立野純三さんにお願いして、初代理事長になっていただきました。
――当時のニュースレターを拝見してわかったのですが、当初は、理事の方々が現地に行って支援活動をされていたのですね。
更家さん:そうです。出張費などの資金もなかったので、自分たちで出していました。フィリピン・ギマラス島で学校を建設する事業では、フィリピン政府と交渉したり、学校をつくった後のフォローアップをしたりもしました。
タイのスラム地域の子どもたちに移動式図書館を寄贈したときは、運送会社に交渉して中古のトラックを寄付してもらい、理事たちで絵本などを集めて、トラックと一緒に支援しました。
途中から、開発途上国支援の経験がある人材が事務局に加わって、現場のことは彼らが行う体制になり、理事会は意思決定機関になっていきました。
日本の子どもたちの教育の問題の解決に向けて
――セーブ・ザ・チルドレン・ジャパンに、どんなことを期待されていますか。
更家さん:日本の子どもたちの教育ですね。それもセーブ・ザ・チルドレン・ジャパンが取り組む子どもたちを取り巻く問題のひとつだと思っています。
――設立当初の事業として、移動式図書館の事業がありましたね。
更家さん:開発途上国の子どもたちの支援も大事ですが、私は今、日本の子どもたちの貧困問題がとても気になっています。このことは、成長や学習にも大きくかかわってきますから。食べる物がなくて困っている子どもたちが多くいます。新型コロナウイルス感染症の拡大で学校が休校になったとき、学校給食を頼りにしている子どもたちは、本当に大変だったと思います。
――夏休みなどの長期休暇期間も食事に困っている子どもたちがいます。セーブ・ザ・チルドレン・ジャパンでは、2020年から企業などと協力して、お米や麺、レトルト商品などをセットにした「食の応援ボックス」を提供する活動をしています。その過程で、応援ボックスを利用した家庭から家計の状況などについてさまざまな声が届きます。
更家さん:そういった現実を明らかにしていただければ、我々企業も協力しやすいと思います。
――更家さんには、サラヤ株式会社の代表取締役社長としても、ずっとセーブ・ザ・チルドレン・ジャパンの活動を支えていただき、本当にありがたいです。
更家さん:やはり、支援活動のベースに、子どもたちへの強い想いがないと、続けられません。「なんとかしなくては」という、パッションやエネルギーのようなものが。セーブ・ザ・チルドレン・ジャパンの皆さんのそうした想いが伝わると、活動に賛同してくれる人が増えていくように思います。
そして、企業の視点としては、できるだけ課題をかみ砕いて、成果が可視化されやすいことから始めると、協力する企業もどんな形で協力したらいいかわかりやすいと思います。
それにしても、子どもたちが毎日の食事に困っているという状況があるということは、心が痛みます。
これからも細く長く、セーブ・ザ・チルドレン・ジャパンを応援させていただきたいと思っています。
――よろしくお願いいたします。
本日は貴重なお話を聞かせていただき、ありがとうございました。
<プロフィール>
更家 悠介さん (サラヤ株式会社 代表取締役社長)
1974 年 大阪大学工学部卒業。1975 年 カリフォルニア大学バークレー校修士課程修了。1976 年サラヤ株式会社入社。工場長を経て1998 年 代表取締役社長に就任、現在に至る。1986年セーブ・ザ・チルドレン・ジャパン設立、理事長に就任。公益社団法人日本青年会議所会頭、一般財団法人地球市民財団理事長などを歴任。特定非営利活動法人エコデザインネットワーク副理事長、特定非営利活動法人ゼリ・ジャパン理事長、大阪商工会議所常議員、公益社団法人日本食品衛生協会理事、ボルネオ保全トラスト理事、公益社団法人日本WHO協会副理事長、在大阪ウガンダ共和国名誉領事などを務める。2010 年 藍綬褒賞、2014 年 渋沢栄一賞受賞。
モットーは、あらゆる差別や偏見を超えて、環境や生物多様性など地球的価値を共有できる「地球市民の時代」
(プロフィールは、2022年8月現在のものです。)