組織概要

子どもたちの希望に満ちた意思ある目に心を打たれました。

何度もあった存続の危機を乗り越えて

――立野さんは、セーブ・ザ・チルドレン・ジャパンの初代理事長を務められていますね。

立野純三さん(以下、立野さん):セーブ・ザ・チルドレン・ジャパンを立ち上げた、サラヤ株式会社の更家悠介さんたちや、大阪青年会議所の先輩に「ライフワークとしてやってみたらどうか」と打診を受けました。先輩たちに頼まれたら、断れないということもあり、最初は、そんな気持ちでお引き受けしました。

立野純三さん_1_活動当時の様子_ 立野純三さん_2_活動当時の様子2

――そこから17年、1986年から2004年まで務められていますね。ご苦労されたことも多かったのでは。

立野さん:そうですね、何度も組織の存続が危ぶまれたときもありました。特に初めのころは、「寄付」というものが日本で一般的ではなかったことと、セーブ・ザ・チルドレン・ジャパンの存在も知られていなかったので、一般の方からも企業からも寄付が集まりませんでした。

――立野さんは資金面でもかなりご尽力され、「立野さんがいなかったら、今のセーブ・ザ・チルドレン・ジャパンはない」と、設立から初期の状況を知っている方がおっしゃっていました。

立野さん:いやいや、そんなことはないです。先ほども話ましたが、団体の活動の継続が難しくなったときには、個人的なお金を投じたこともありましたが、大阪青年会議所の寄付と関係者などからいただいた会費に、とても助けられました。

――途中で事務局を大阪から東京に移されていますが、その決断にはどんなお考えがあったのでしょうか。

立野さん:率直に申し上げると、大阪に事務局を置いたままだとセーブ・ザ・チルドレン・ジャパンを大きくできないと思ったからです。優秀な人材を確保するという意味でも資金面でも、東京に拠点を移したほうが発展できると確信していました。そして、拠点を移すことで、子ども支援の活動もうまくいくと思いました。

――事務局を移すのは簡単ではなかったと思います。反対意見もあったのではないでしょうか。

立野さん:そうですね。「せっかく大阪でここまで築き上げたのに、どうしてだ」と、大阪青年会議所の関係者から言われました。ずいぶん、議論をしましたね。でも私は今でも、そのときの決断は間違っていなかったと思っています。

自立する力を育てるのが、本当の支援活動

――当時は、理事の方々が主体となって海外での活動を進めていたそうですね。実際に現地に行かれて、いかがでしたか。

立野さん:本音を言うと、更家さんたちに頼まれて、いわば「受け身的に」かかわり始めた部分もあるのですが、最初に取り組んだフィリピン・ギマラス島に学校を建設した事業で、子どもたちが喜んでいる様子を見て、「これは本気でやらなければいけないな」と、主体的に取り組もうと考えるようになりました。そこから、セーブ・ザ・チルドレン・ジャパンの活動に、積極的にかかわるようになりました。

立野純三さん_3

――特に手応えを感じた活動について、教えていただけますか。

立野さん:フィリピンのピナツボ火山の被災地で、バナナ栽培を支援したことですね。もともとその地域に住む人たちは、バナナをつくって生計を立てていたのですが、バナナ栽培を再興して、かつての暮らしを取り戻すための支援をしようと考えたのです。
支援の形はさまざまあり、緊急時の支援では当然、すぐに食べられるような食料を届けたりすることも必要だと思いますが、支援だけではなく、その地域の人たち自らが農作物を育てるとか、そこに暮らす人たちの自立を促す支援活動が必要なのだなと、そのとき痛感しました。
地域の人たち自身が生きる力をつけていけるよう支援をすることが、本当の意味での支援活動だと思います。

設立から35年を一つの機会に、新しい取り組みにチャレンジして

――立野さんが今、特に気になっている社会課題について教えてください。

立野さん:子どもたちの教育や経済的格差が大きくなっていることが気になっています。そして、子どもたちの教育に力を入れることが、いちばん大事だと思っています。

――日本に暮らす子どもたちを取り巻く課題へ取り組むことも必要ですね。今後セーブ・ザ・チルドレン・ジャパンに、期待することはどんなことがありますか。

立野さん:セーブ・ザ・チルドレン・ジャパンが設立されたときは、特に海外の子どもたちの支援からはじまりました。いまは、日本の子どもたちの支援もしていますね。設立当初は、日本の子どもたちを取り巻く課題についても考えたのですが、当時は他団体が活動していたこともあり、セーブ・ザ・チルドレン・ジャパンとしては、海外の子どもたちに目を向けて活動をしていました。でも今では、日本の子どもたちが置かれている状況も深刻です。

それならば、セーブ・ザ・チルドレン・ジャパンは、海外の子どもたちに加えて、国内の子どもたちが置かれた状況を変えるために、新たな取り組みにチャレンジしていただきたいですね。設立から35年を経た今は、そのきっかけのときだと思います。

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――おっしゃる通りですね。日本の子どもたちを取り巻く課題解決に向けても、さらに取り組みを進めていきたいと思います。

<プロフィール>

立野純三さん(株式会社ユニオン代表取締役社長)

1970年甲南大学法学部卒業。1970年株式会社青木建設(現青木あすなろ建設株式会社)入社。1973年株式会社ユニオン入社。1990年同社代表取締役社長就任(現職)。1986年から2004年まで社団法人セーブ・ザ・チルドレン・ジャパン理事長を務める。その後2015年3月まで公益社団法人セーブ・ザ・チルドレン・ジャパン名誉理事長(2011年4月1日付で公益社団法人へ移行)。その他公職として、公益財団法人ユニオン造形文化財団理事長、大阪商工会議所副会頭、公益財団法人大阪産業局理事長、甲南学園理事・評議員、大阪学院大学理事等を勤めている。

(プロフィールは、2022年8月現在のものです。)

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