大人も子どもも、
知っておきたい話
多様な人々がともに社会をつくりあげていくとき、それぞれの違いによる対立が起こります。人権を大切にする社会では、それぞれの違いは違いとして尊重されながら誰ひとり取り残されないことが必要です。今を生きる子どもたちに育みたい人権感覚とは何か、そのために今教育で求められることは何か、横浜創英中学校・高等学校の校長の工藤勇一さんへ聞きました。本ページではインタビューの内容を人権QAコラムとしてまとめました。
人権QAコラム
横浜創英中学校・高等学校校長の工藤勇一さん
Q. 子どもに育んでもらいたい人権感覚とはどういったことを指すのでしょう。
A.社会は多様であること、そして自分とは異なる様々な考えをもつ人々が生きていること、当然、そこにはぶつかり合いが起こること、そんな社会でみんなが一緒に生活していくためには、一人ひとりの違いを尊重することが大切なこと、そして、誰ひとり取り残さない社会を目指すには対話が欠かせないこと。こうしたことを、子どもたちには体験を通して身につけてほしいものです。
おそらく、これまでの人権教育では、「人は大事にするべき」、「人の命はかけがえのないもの」、「人を傷つける言葉を言ってはいけない」など、いわゆる道徳として教えている人が多いと思います。特に学校では「絆」、「心を一つに」、「団結」などという言葉が多用されます。でも、それらは「みんなの考え方を一緒にしよう」という同質的な言葉であり、むしろ、多様性を認める言葉とは真逆です。
一方、「みんな違っていい」ということを認めていくことは、考え方や文化はみんなが違って良いということです。いろいろな考え方や価値観、立場の違い、さまざまな障害の有無、宗教の違い、文化の違いなどがありながら、みんなで一緒に暮らすということですから、自ずとそこには様々な対立が生まれます。「みんな違っていい」ということは、ある意味大変な作業が伴います。違う者同士が一緒に暮らしつつも、社会を成り立たせ、秩序ある良い社会にするのですから、それを成り立たせるための対話が必要です。誰一人置き去りにしないためにはどのようなルールをつくるべきかという対話です。
日本ではいまだに多くの人が、江戸時代のようにお上(かみ)が法律をつくるものと勘違いしているのかもしれません。法律というのは本来、世の中の対立を解決するためのルールです。例えば、人と人とのトラブルが生じた際、「人を殴ってもよい自由」と「人に殴られたくない自由」をどちらの自由をルール(法律)にするか議論してみましょう。当然ですが、もし「殴る自由」を優先した法律をつくってしまったら、社会は大混乱に陥ってしまうことは誰にでも分かることですね。誰一人置き去りにしない社会をつくるために、こうした対立を民主的に定めていったのが法律です。
異なる人々が多様な意見を出しながら、対話を通じてルールや法律を定めていくためには、一人一人の人権感覚を磨いていくことが大切です。まだまだ、日本の教育には、その視点が非常に欠けているように思います。
自分の自由を尊重してほしいと思うと同時に、他人の自由を尊重するということ。そこには時には利害の対立も生じます。それらは心の教育だけで解決できるものではないと考えます。ましてや多数決という数の論理で結論づけてはいけません。言うまでもなく、多数決はマイノリティ(少数派)を切り捨てる最悪の方法だからです。持続可能な社会をつくるためには、誰一人置き去りにしないという人権の感覚を磨いていく必要があります。
例えば、英語の「Ladies and gentlemen」というあいさつの言葉が最近、「Everyone」に変わり始めたと聞きました。LGBTなど男女という性区別でくくれない多様な人たちへの配慮からです。人権感覚は言語感覚とイコールということができると私は考えます。
そうした人権感覚を育むために教育はどうあるべきでしょうか。
A.ものごとを対話を通して決めながら、自分たちが主役だと学べる教育です。
日本では民主的な対話を学ぶ体験が極めて少ないと感じています。その大きな理由は大人自身がその体験がないからです。
その象徴的な姿として、日本中のほぼ全てのクラスでものごとを決める時、先生はよく多数決を使います。前述した通り、多数決は多くの場合、少数派を切り捨てる行動です。誰一人置き去りにしないことを前提に話し合うのであれば、そもそも多数決をしても良いのは、どの案でもみんながOKとなった場合だけです。もし、どれかの案が、誰かの利益を損ねるのであれば多数決はとってはいけないのです。
例えば、文化祭の出し物をクラスで決めるとき、多数決をしたとします。ダンスをやりたい人が8割、演劇をやりたい人が2割で、単純にダンスに決まったとします。他の2割には、もしかすると足の悪い子がいたり、運動がすごく苦手でダンスがうまく踊れない子がいるとします。そうした子どもたちは辛い思いをすることになりかねません。
とかく多数決後は、「みんなで決めたのだから、全員協力してくださいね」ということになり、「朝練するからね」とか、「クラスみんなで団結して優勝するんだから」となったりもします。非常に乱暴な教育であり、これでは人権教育などできません。8割の多数派も2割の少数派もみんながOKな新たな案を生み出す対話こそが必要なのです。
そんな対話ができれば、ダンスは8割で演劇は2割だったけれど、「ミュージカル風の演劇なら、その中にダンスパートをつくれるんじゃないかな」、「舞台装置や音響、照明という様々な仕事も選べるし、みんながOKとなる出し物がつくれるんじゃないかな」という話になっていくこともできます。これこそが人権教育だと思います。
対話の中でものごとを決めていくことを通し、子どもたちは社会の中で、「自分たちが当事者だ」、「自分たちが主役なんだ」と学ぶことができるのです。それこそが人権を大切にできる社会に繋がっていくのだと考えます。
工藤勇一(くどう・ゆういち)
現職:学校法人堀井学園横浜創英中学・高等学校校長
プロフィール:
東京理科大学理学部応用数学科卒業、公立学校教員、東京都教育委員会、新宿区教育委員会教育指導課長、千代田区立麹町中学校校長(2014年4月〜2020年3月)、内閣官房教育再生実行会議委員(2018年8月〜2021年8月)、内閣府規制改革推進会議専門委員(2021年8月〜)、経済産業省産業構造審議会臨時委員(2021年6月〜)