子どもの視点を学ぶ
スポーツ指導から考える子ども
佐伯 夕利子さん
ビジャレアルCF
フットボールマネージメント部所属
スポーツハラスメントZERO協会理事
相手を尊重する
コミュニケーションを
意識しよう
スペインでサッカー指導者として長年活躍されるかたわら、日本のスポーツ現場におけるスポーツハラスメント*をなくす活動も行う佐伯夕利子さん。所属するスペインリーグのクラブチーム「ビジャレアルCF」では、選手が自ら考え判断できる認知能力を磨く育成改革も行っています。スポーツ指導の名のもとに、人としての尊厳を傷つけるようなスポーツハラスメントが根強く残っている日本においても、そうした行為をなくすためにできることは何か、ビジャレアルが目指す豊かなチームづくりの経験を踏まえてお聞きました。
*スポーツハラスメントとは…スポーツにかかわるすべての場面において、暴力、暴言はもとより、優越的な関係を背景とした言葉やふるまいが、必要かつ相当な範囲を超えることにより、また、それらがつらいと感じた時にコミュニケーションがとれないことにより、スポーツをする環境が害されるもの。
ビジャレアルCFで行われている育成改革について教えてください。
また、この改革によって、大きく何が変わりましたか。
指導/育成の概念が変わりました。主語が「私たち(指導者)」から「選手」「子ども」に移行していきました。
2014年から行われてきたビジャレアルCFの育成改革で、私たち指導者は、自身の指導について振り返りできるよう、一人ずつピンマイクとカメラをつけ、練習と試合での発言や行動を録音録画しました。そして、毎週の会議で見返す作業を続けると、そこで映し出された私たちの姿は、「私(指導者)」が望むプレーはこうだからこうしなさい、と主語が常に「私(指導者)」にありました。
その主語を「選手」「子ども」に移行していきました。例えば、今まで「選手に教える」という言葉を使っていたのですが、主語を変換して「選手が学ぶ」に変える、そういう作業を丁寧に進めていきました。
そうすると、選手たちが身を置く環境も、彼らが考え学ぶ形に移行していきました。それまでは、私たちが一方的に話したり、強制したり、押し付けたりという指導が多かったのですが、そのような状況が少しずつ減り、私たちの会話、対話が、命令口調もしくは断定的なものから、相手の考え、意見を問うような内容に変わっていきました。
そうした大きな変容が私たちの指導現場で生まれていったのです。主語変換によって、「選手」「子ども」の学びが豊かになっていることに、私たち指導者自身が気づけたことは大きな収穫でした。
このような取り組みにより、指導や育成に関する考え方が変わったと感じています。
選手が考えや意見を言いやすくするために、どのような取り組みが行われましたか。
見える形で指導者と選手のヒエラルキー(階層構造)を崩していくことを実践しました。
私たちは、選手が主体的に学ぶ、考えるということを促すためには、指導者と選手の関係性のヒエラルキー(階層構造)を崩してフラットな関係を再構築していくことが必要だと考えました。例えば、私たちはクラブ内にある四角いテーブルを全部円形に変え、ミーティングも円テーブルで行うようにしました。これは、立場の違いによるヒエラルキーを見える形で崩したかったからです。
助監督、フィジカルコーチ、ゴールキーパー、コーチ、リーダー格の選手、そうでない選手、さまざまな立場があります。丸テーブルの周りに座る、あるいは円の形でミーティングを行うと、その瞬間、私たちはみんな同じで全体の一人という意識に変わります。四角いテーブルや列だと、こちら側が監督、あちら側が選手と無意識に、ヒエラルキーが可視化されていたのです。
それまで私は、当然のようにミーティングを整列して行っていました。選手は私の方を向き、私は指導する側の立場から、明日の試合のためにこういう戦略を立てた、と一方的に伝えていました。
ミーティングを円にしてみると、面白いほど選手から意見が出るようになったのです。人間は立ち位置を変えるだけで大きく変わります。選手からは意見が出やすくなり、私自身も一方的に話をする役割からみんなに意見を聞く役割に変わっていきました。私自身もチーム全体もコミュニケーションが豊かになっていく感触がありました。
円になってミーティングを行っている様子
ビジャレアルの指導者たちはチームづくりにおいて、どのようなコミュニケーションの工夫を取り入れているのでしょうか。
意見を言わない子どもたちに耳を傾け、子どもの声を拾う工夫をし、彼らの成長過程における環境づくりを行うことを意識しています。
チームでは、意見を主張する人たちの考えが押し切られやすい状況もあります。私たちの中には、これまでそうした、いわゆる声が大きい子どもたちの意見をそのまま認めチームの総意にしてきてしまったという反省がありました。練習や試合を動画に撮り、自分を振り返ると、実際私がコミュニケーションを取っていたのは意見をする子、リーダー格の子、妥当だと思う発言をするような3人から5人ぐらいの子たちだけでした。
よくしゃべる子たちに意識を向け、時間とエネルギーをかけていました。ビジャレアルCFの育成改革はメンタルコーチたちとともに進めていましたが、彼らから、声を上げない子どもが何を思い、何を感じ、何が見えているのか聞いたことがありますか、と聞かれたときには、「ありません」としか答えられませんでした。私は20数年間、無意識的に指導してきて、選手の声に耳を傾けてこなかったと気づき、「今まで一体何をしてきたんだろう」とショックでした。
声を上げない、意見をしない子どもも、何も考えていないわけではありません。意見を言えない、言いたくないのは、それまでに痛い思いや嫌な思いをした経験があって、このチームの中では発言をしないと決めている場合もあります。理由は人それぞれです。いつも意見を言う存在感のある子のみに耳を傾けるのではなく、むしろ何となく同意しているように思われる子の声を聞くこと、それがチームづくりであり、より豊かなチームのあるべき形、と育成改革の中で言われました。
サイレント(意見を言わない人)にこそ耳を傾け、歩み寄ること。みんなの前では何も言えないかもしれないから、コミュニケーションの場を1対1に変えてみようなど、少しずつ実践のやり方が変わっていきました。意見を言いたいけど声にできづらい子どもたちの声を拾える環境を整えるために、コミュニケーションのスキルを身に着けることを目指していきました。
選手が自ら考え判断できる組織やチームづくりをしよう、子どもたちを主体的に育てよう、というのは理論に過ぎません。それをどのように実践に落とし込むことができるのかを、この10年間いろいろな意見を出し合いながら、知恵を集めながら手探りで育成改革を進めました。
自分たちの動画を見返し話し合ううちに、私たち指導者、教員を含めた周りの大人は、子どもたちの成長過程における環境を織り成す重要な要素の一つであると気づきました。どういう大人に出会うかで、子どものその先が大きく変わるし、私たち大人が彼らの日常の文脈、無意識の環境になっているのです。
私たちが言うこと、することが子どもたちの文脈をつくるので、「自分たちが流すBGM(バックグラウンドミュージック、背景音楽)に気をつけなさい」とも言われました。BGMは私たちが発する言葉であり、その言葉によって私たちが優先順位をどこに置いているのかが無意識に伝わります。
指導者が、「死ぬ気で勝て」というメッセージのBGMを流すのか、「君の改善点のここにチャレンジしよう」というメッセージのBGMを流すのか、同じ90分の試合でもそこに生きる彼らの環境は全然違うものになります。そうしたことを私たち自身で振り返り、気づくことを繰り返していったのです。
日本のスポーツ指導現場のハラスメント問題については、どう思いますか。
日本では、ハラスメントに対してブレーキは効き始めているのですが、なぜいけないかの本当の理解は進んでおらず、陰湿な行為として続いているのではないかと懸念しています。
日本の教育現場におけるハラスメントについては、周囲の課題意識を持っている方々からも聞きますし、ニュースや動画サイトでもきりがないくらい事例が出てきます。ただ、私たちが把握できていない、表に出てきていないケースがその何倍もあるのではないかと懸念しています。誰にも知られることなく苦しんでいる子どもたち・若者たちが、実は非常に多くいるのではないかと思うのです。
また、最近は、ハラスメントが良くないという意識が社会的に芽生えてきたためか、これまで教育現場で行われてきた、殴る、蹴りを入れる、平手打ちするといった暴力や、罵倒するといった行為は圧倒的に減っているとも聞きます。目に見えるハラスメントが減った一方、ブツブツと文句を言う、何だかわからないけど怒っているといった指導者は増えているそうです。
つまり、ブレーキが効き始めているけれども、そもそものハラスメントがなぜいけないかの理解が全く進んでいないのです。ハラスメントをしたら罰されるからやめておこう、ということに過ぎないのです。バレたら危ない、と考える大人たちが他者から見えないところで陰湿にハラスメントを行い始めているんじゃないか、言葉による暴力が増えているんじゃないか、そういった懸念があります。
日本におけるハラスメントには、どのような背景があると思いますか。
社会のなかでのリプレッション(抑圧)が多く存在し、抑え込まれたものがハラスメントという形で爆発しているのではないかと感じます。
日本で行われるハラスメントの背景のひとつには、文化や社会のなかでのリプレッション(抑圧)*があると感じます。人々は子ども時代から、多くの禁止事項、規律、上下関係を含めた周りや社会の厳しい目など、目に見えない多くのリプレッションに囲まれ、それに従って生きています。
もちろん、社会の厳しい目によって日本社会の秩序が保たれている部分もありますが、リプレッションは、自分の思いや考え、感情を臆することなく共有できる機会を奪っていくことにもつながるので、人間を苦しめます。
私はハラスメントの加害者となりうる人たちが、その成長過程で抑圧的な社会や育成環境で育ち、その抑え込まれたものが爆発し、人を罵倒する、ばかにする、さげすむ、手を出すといった形のハラスメントにいたってしまうのではないかと感じています。その根底には日本の文化・社会的な背景があると考えています。人としての尊厳や人権についてこそ、社会の厳しい目が開かれるべきだと考えています。
*リプレッション(抑圧)… 行動や自由などを無理におさえつけること
現在お住まいのスペインと日本ではハラスメントに対してどのような意識の違いがありますか。
スペインではリスペクト(尊重)が最上位概念にありますが、日本ではリスペクトが条件付きであると感じます。
スペインにおいて、日本で問題になるようなハラスメントは、ほぼないと言えます。スペインは社会一般のハラスメントに対する知識、理解度が高いです。それは、リスペクト(尊重)の概念が最上位概念として日常の中に存在するからだと思います。
例えば、興奮し行き過ぎた発言をしてしまったスポーツ指導者を見かけたら、周りの大人たちが黙っていません。それが自分の息子や娘に対する指導でなくても、試合が終わるのを待って、「さっきのあの発言はリスペクトに欠けませんか、子どもたちはあなたに対しリスペクトを欠いていませんよね。ならば、あなたもしっかりと子どもたちをリスペクトしてください」といったことを必ず言います。
そうした大人の存在がハラスメントの早期発見となり、それ以上の深刻な状況を生まないというのが社会全体の動きとしてあります。
会社で上司に対しても、何か感情的に言われたら「ちょっと○○さん、私はあなたへのリスペクトに欠けましたか。興奮しないでちゃんと人間らしく話をしましょうよ」といったことを伝えます。そうすると、上司の方は、「ごめん、興奮してしまった」と謝ります。その人の役職や権威に関係なく、人として対話をして自分の意見をぶつけ合えることは豊かな関係性であり、豊かな社会であると考えます。そこで、リスペクトを欠いたり権威的な押し付けをしたりはやめよう、とみんなが言えるのです。
一方、日本では最上位概念に上下関係が存在し、リスペクトの概念は条件付きであやふやであると感じます。例えば、先輩に対してはリスペクトがあるけれど、後輩に対してはなくても良いという意識があると感じます。これは文化の問題だと思っています。スポーツ界は特に上下関係が厳しく、限定的な人間で構成された閉鎖的な空間であるために、閉塞的な文化を形成してしまっていると感じます。
私たち日本人の場合、ハラスメントなどについて相手に意見を言いに行くとき、「もうあなたとは2度と会わなくても良い」ぐらいの意気込みや覚悟で乗り込んでいきますよね。そうではなく、その中間にあるコミュニケーションが取れるようなグラデーションの関係性を構築していくことが大事だと思っています。
日本では権威的な社会で育ってきているので、監督に物申すなんて駄目だ、とつい思ってしまう。そうではなく、監督であれ、人として良くない言動があるのであれば、できるだけ早い時点でコミュニケーションを持つのが当たり前になっていくと、より良い社会になっていくと思います。スペイン人はそういう関係性の構築やコミュニケーションが上手だと思います。
こういうコミュニケーションから関係性が確立されていく社会にしていくことが、私たち日本人に求められていると思います。特に今の時代、スポーツ指導の現場でこそ子どもたちに、そういう機会を与え、そういった社会を実現していけるのではないかと思っています。スポーツ現場は、手探りでより良いチームづくりに取り組むことができる多くのチャンスにあふれるコミュニティであると思っているからです。
大人たちは自分たちの意見をしっかりとリスペクトし優先してくれる、そして自分たちが望む形でチームづくりをしてくれるとスポーツの現場で理解をした子どもたちが、そうした文化を継承しながら次世代を担っていく。私は、スポーツ界から日本の社会を変えることはまんざらでもないと期待を持ちながら、そこに今後も着手していきたいと考えています。
スポーツ指導におけるハラスメントについて、人々の意識を変えていくためにできることはなんでしょう。
指導者自身がハラスメントに関する正しい学習のきっかけを提供したり、起点となることが大事だと考えています。
これまで、日本のスポーツ指導現場でハラスメントとされる行為は、指導の一環として当たり前のものとして継承されてきました。啓発活動として、「スポーツハラスメントは駄目だ」などとSNS等で広げても本当のところの理解は進んでいません。スポーツハラスメントが人としての尊厳や人権を侵害するものであるという理解を広げていくためには、人々の頭の中にある当り前とされている概念と、基準を変えていくことが必要です。
人間は何らかのきっかけ、タイミングで、もしくは誰かから無意識的に学習をしていくことで頭の中に自分の考えや概念を形成しています。当たり前を変えるためには、その学習自体を変えていくことです。学習自体が変わらないと、今後も世代を超えて同じようにハラスメントは悪くないという概念が継承されてしまう。スポーツ指導を行う私たちが、ハラスメントに関する正しい学習のきっかけを提供したり、起点になったりすることが大事だと思っています。
2024年3月に立ち上げたスポーツハラスメントZERO協会では、人々に正しい学習をしてもらうために、検定事業を行っています。スポーツハラスメント検定やセーフガーディング検定という仕組みをつくりながら、今後継承されていく学習そのものが健全なものであるように目指します。時間はかかりますが、その健全な思考思想を持った大人たちが指導者となり、スポーツ現場を健全化していく流れをつくっていくと信じています。
フィールドでチームへの助言を行う様子
佐伯 夕利子(さえき・ゆりこ)
- 現職:
- ビジャレアルCFフットボールマネージメント部所属、スポーツハラスメントZERO協会理事
- プロフィール:
- ビジャレアルCFフットボールマネージメント部所属。1973年10月6日、イラン・テヘラン生まれ。スペインサッカー協会指導者S級ライセンス、UEFA Pro 指導者ライセンス取得。元Jリーグ常勤理事。元WEリーグ理事。2024年3月より、スポーツハラスメントZERO協会理事。
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