子どもの視点を学ぶ
子どもの権利から考える
子ども
塚本 智宏 さん
東海大学札幌教養教育センター教授 教育学博士
一人の人間として
子どもと接しよう
「子ども」という存在を探求し、「子どもを人間として尊重する」ことを周囲に伝え続けた、ポーランド出身のヤヌシュ・コルチャック(1878-1942)。彼の考え方は、日々の子どもとのコミュニケーションのヒントになるかもしれません。コルチャックが子どもをどのように捉え、子どもの声をどのように聴いていたのか、長年研究されている塚本智宏さんにお話を聞きました。
子どもの権利条約の精神的父と呼ばれるコルチャックとは、どのような人だったのでしょうか。
「子どもは幼いころから大人に単に守られる存在なのではなく、自分自身でものごとを考え、決めていこうとする存在である」という考え方を提唱した人です。
私は、子どもの権利条約の歴史に関心を持ったことがきっかけで、子どもの権利条約の精神的父と呼ばれるヤヌシュ・コルチャックと出会いました。
20世紀の初めに子どもの権利宣言がつくられ始めていた当時、おおよそ子どもは大人に守られる存在として捉えられていました。それに対して1989年に採択された子どもの権利条約では、守られるだけでなく、子どもは幼いころから自分自身でものごとを考え、決めていこうとする存在でもあると捉えられるようになります。
このような考え方をさかのぼると、コルチャックが存在しました。コルチャックは、「子どもの権利」という言葉を、家庭の赤ちゃんから思春期の子どもまで、いずれも子どもを人権の主体として生きる存在であるという考えを持って使い始めたフロンティアでもあり、子どもの権利条約の精神的な父と呼ばれるようになったのです。
コルチャックは、1900年代にポーランドで小児科医として、のちに、孤児院の院長、教育者、そして作家としても活躍しました。子どもと関わる仕事の中で、コルチャックは、その主著『子どもをいかに愛するか』(1918年)の中で、生まれてくる子どもを人間として理解し、愛し、信じることはどういうことなのかを人々に教えようとしました。
コルチャックは、生まれてくる子ども、そして、幼少期の子どもをどんな存在であると捉えていたのでしょうか。
子どもは何より「感性を使って思考する」ため、大人とは違ったやり方で生きる存在だと捉えました。
コルチャックは、赤ちゃんがものごとをどう捉えているかを、面白い表現で伝えています。
「赤ちゃんは、表情の言葉で語り、目に見える形の言葉と感性が記憶する言葉で思考している。」(ヤヌシュ・コルチャック)
この表現のうち、「表情の言葉で語り、目に見える形の言葉」は想像できると思います。一方、「感性が記憶する言葉で思考」というところは、すぐには想像しにくいですよね。コルチャック自身が具体的に説明しているわけではないですが、「感性が記憶する言葉」という表現を聞いて、私はこんなシーンを思い浮かべてコルチャックの言葉を理解しました。
例えば、赤ちゃんは言葉がまだはっきり出てこないけれど、周囲のことにすごく関心を持っていますよね。この赤ちゃんが、緑の葉っぱを初めて触ったときに、そこには小さなトゲがあって痛かったとします。赤ちゃんは言葉も知らないし、葉っぱということも知らない。けれど、色、感覚、形をそこで記憶します。もう一度、似たような葉っぱに出会っても、実はその葉っぱにはトゲはないのだけど、赤ちゃんはその葉っぱを触ろうとしません。前に“あの形”の“あの色”のモノを触って不快な刺激を味わったと記憶しているからです。
感性とは、見る、聴く、触れるなどの五感すべてのことを使って生きる子どもに優位な特性です。大人は、言語を使って周囲を捉え、それを記憶として持ち続けることになります。五感で得た情報やその他の情報を踏まえて言語化し、記憶しますよね。
一方、赤ちゃんや子どもは、言葉や知識、経験をまだ十分に持たないので、自分のすべての五感をフル回転させて、周囲の情報を感性的に仕入れます。赤ちゃんに始まり、子どもはいつか言葉を話し始め、言語の世界を少しずつ広げるようになります。言語化できない段階は、コルチャックが言う「感性が記憶する言葉」で思考する世界が中心となるのです。
ここでは赤ちゃんの例を挙げました。赤ちゃんや幼少の子どもは感性を中心に思考することが多いですが、思春期以降の子どもであっても、そういった感性的な部分をずっと持ち続けているのだと思います。多くの大人は理性で感性を抑え込んでしまう部分もありますが、子どもは感性でものごとを考えるところが大きい人間なのです。大人と子どものものごとの捉え方が違うからこそ、子どもの感性を理解した関わりが大事です。
コルチャックは、違ったやり方で生きる子どものことを次のように捉えていました。
「子どもたちの思考は大人より、少ないとか、貧弱だとか、劣るとかということはない。それは大人の思考とは別のものというだけのことだ。私たち大人の思考においては、イメージは色あせ、古ぼけており、感覚はぼやけて、ほこりにまみれているかのようだ。一方、子どもたちは知性ではなく、感性で考える。だからこそ、私たちが子どもたちとの共通の言葉を見つけるのがとても難しく、子どもたちと話をする能力ほど複雑な技術はないのだ。」 (ヤヌシュ・コルチャック)
子どもとの関わりで大事なことはなんでしょうか。
子どもは人間であるということ。人間同士だからこそ、ぶつかります。
『子どもをいかに愛するか』という本の中で、コルチャックは、大人とはそのバランスが異なる知性、感性、経験を持ちながらも、「赤ちゃんは一個の人格」であると断言しています。さらに、繰り返し、生まれてくる赤ちゃんは「あなたのものではない」、あなたとは別の人間として誕生してくるということを強調しています。
赤ちゃんはすでに、一個の人格で、あなたと同じく今の現実を生きる人間です。だから、その子どもにはあなたと違う望みがあり、要求があり、願いがあります。そもそも、あなたの言うとおりにはならない存在だということです。
「二つの望みの葛藤、二つの要求、二つの対立するエゴイズム。・・・母親は悩み、一方子どもは生きるために生まれた。母親は出産の直後で休みたいと思っている、一方、子どもはおなかを満たしたい。母親はうたたねしたいと思っているが子どもは眠りたくない。そして、こうした葛藤は際限なく続く。これは些細なことではない、課題だ。」(ヤヌシュ・コルチャック)
子育ては、親と子の“二つの生活(生命)”、“二つの権利(人間)”のぶつかり合いです。それは子どもが成長するにつれて、ますますはっきりすることです。誕生の瞬間から、子どもは独立した人間であり、決して親のものではないということを認識して、子育てに臨むことが必要なのです。
子どもの成長に伴って、親に求められることはなんでしょうか。
「子どもが自分らしく生きるために、成長を支えること」と「子どもの目で世界を見て大人が学ぶこと」が必要です。
子どもの気持ちや声を聴くというのは、感性を通じて、子どもの思考を聴き取るということです。赤ちゃんや子どもの世界を教えてもらうためです。そして、子どもの気持ちを聴き取るのは、子育て・育児のためでもあります。
コルチャックに学んだポーランドの研究者、アレクサンデル・レヴィン(1912-1999)の言葉を借りるなら、子育て・育児に求められる目標というのは、次のようになります。
「親の果たせなかった願望やその子には負担となる過大な要求ではなく、何より“その子がその子自身になる”よう、その子の命・生活・人生を応援すべきことなのだ。それは、日常において、その子の成長や発達や成熟を、また、周囲への認識や生活の術の獲得を支えてやることである。」(アレクサンデル・レヴィン)
子どもにとって、成長・発達することは、大人にはわからないが、とても「困難な労働」であると、コルチャックは言っています。そこで、親たちに求められるのは、子どもに共感や同情するだけでなく、子どもの目で世界を見ることであり、そして、場合によっては、そこから大人が学ぶことも必要なのだと言っています。
子どもとの会話では、どんなことを大切にしたら良いでしょうか。
ポイントは「子どもに」ではなく「子どもと」。
コルチャックは、教育の世界は、教育者と生徒が互いに影響を与え合う対等な関係であると考えていました。そして、親子の関係も、同様の側面を持つと考えていました。教育者は、子どもから教えられたり、育てられたりして自らが成長すると言っています。つまり、教育者自身が、子どもの感性や知性から学んだり、子どもに経験が少ないからこそ、子どもの感じ方や考え方に感動したり学ばされたりする、ということです。
「子どもにではなく子どもと」というフレーズがあります。親が子どもに対して何かを一方的に話す会話というのは、会話にはなっていない。つまり、大人が考えていることを話しているだけという場合が多いのです。しかも、大人は先回りして子どもたちに教えようとしてしまい、自分の言っていることが正しいと思えば思うほど、一方的に話しかけてしまいます。
その思いを、いったん胸の中にしまって、「子どもは今、どうしたいのか」「子どもは今、どう思っているのか」というところから始めてみます。そのスタンスで子どもと話しながら、その中で親が持っているものを合わせていく。それで十分伝わるのですよ。最終的には、子どもが自身のこころの中でどう消化して、どう決断していくかが重要です。
「私が考える子どもはこうあるべきだ、ということについてではなく、子ども自身が今どうあって、どうあろうとしているのかについて、子どもと話したのである」(ヤヌシュ・コルチャック)。
そういったスタンスで話すときに、子どもが考えていることが初めてわかることが多いと、コルチャックは言っています。
親が子どもの権利を尊重するために、意識として持っておくべきことは。
“子どもを人間として尊重すること” と “子ども時代の人間は、あなたと違うということ” 。
これまでの話のまとめとなるかもしれませんが、“子どもを人間として尊重すること”、そして“子ども時代の人間は、あなたと違うこと”の2つを心にとめることが大事だと思います。同じ人間であるという部分だけで考えてしまうと、大人の発想で「子どもは人間なのだ」としか考えられないですよね。子どもを人間として尊重するのだけど、同時に、感性、知性、経験のバランスの違う異質な人間なのだ、ということを理解しておかなければなりません。
そしてまた、子どもは、“大人になりつつある”人間ですが、“人間になりつつある”存在ではないのです。こう考えると、子育てにおいて、さまざまな瞬間で、いったん立ち止まることができます。
コルチャックは、『子どもをいかに愛するか』の読者に、ここで具体的な“処方箋”は提供できないが、この本を読んで、あなたが深く考え込むようになったなら、私の目的は果たせたことになるだろう、と述べています。このインタビューを読んだ皆さんが、少しでも日々の育児や子育てを振り返る機会になればと思います。
塚本 智宏 (つかもと・ちひろ)
- 現職:
- 東海大学札幌キャンパス教授
- プロフィール:
- 1955年生。北海道大学大学院教育学研究科博士課程修了 教育学博士。東海大学札幌キャンパス教授。専攻は、ロシア・ポーランド教育史・子ども史研究。近代教育史研究が出発点であるが、近年は近現代の子ども権利史に関心を持っている。
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