こどものミカタ

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ジェンダーから考える
子ども

太田 啓子さん 弁護士

太田 啓子

弁護士

身近にある
ジェンダーに基づく偏見から
子どもを守ろう

何気ない日常の中にジェンダーに基づく偏見は溢れていて、無意識にそうした偏見を子育てに取り込んでしまうことも・・・。弁護士として離婚問題やドメスティックバイオレンス(DV)の事件を担当されることが多いという太田さんは、『これからの男の子たちへ』という本のなかで「男らしさ」に潜むジェンダーの問題をわかりやすく解説しています。ジェンダーの問題を、子どもとどのように話していけば良いのか、そのヒントをお聞きしました。

そもそも、「男らしさ」という考え方には、どのような問題があるのでしょうか。

「男らしさ」の考え方に基づく発言やメッセージには、女性や性的少数者を下に見る言い方や、そうした意図が伴ってしまうことがあり、ジェンダーバイアス*に満ちたメッセージを子どもに刷り込んでいきます。

強い、たくましい、さっぱりしている、リーダーシップがあるといった「男らしさ」は、それ自体が悪いことではありません。人生のつらさや苦しさを、「これぐらいのこと、私は男なんだから頑張らなきゃ」と乗り越えてきた人はいると思います。そういう性質自体を否定するわけではありません。

ただ、「男は勉強頑張れ」、「男だからしっかりしろ」という言い方には、女性はそこまでしっかりしなくても良い、男でないならそうでなくても良いと、下に見る言い方や、そうした意図が伴ってしまいます。私は、そうした裏側にあるメッセージが良くないと考えています。男女二元論を前提にした「男らしさ」という言葉に強くこだわると、性の多様性についての理解からも遠ざかりかねないのではと思うのです。

私たちは無意識にそうしたジェンダーバイアスに満ちたメッセージを、子どもの頃から受け取っています。子育てをするなかで、そのジェンダーバイアスが子どもの頃から刷り込まれていると体感しました。ジェンダーバイアスは個人として、より幸せな人生を追求する際の妨げになってしまうため、子育てに関わる者がそれを意識的に断ち切らないと、子どもにも受け継がれてしまうという懸念があります。

日本社会全体で見ると、家事・育児といった家庭内労働の大半を女性が担うといった性別役割分業観が、女性の経済力を著しく弱めています。それが性別による経済格差の温床となっているのです。世の中の多くの社会問題の根底には、そうした見えにくいジェンダーに対する考え方があり、それを抜本的に解消しないと、社会問題は解決しないという思いがあります。

*ジェンダーバイアス・・・社会的・文化的な性差別や性に基づく偏見を表す言葉。男女の役割に固定的な観念を持っていたり、社会の女性に対する評価や扱いが差別的であったりすることも含まれる。

社会におけるそうした「男らしさ」の考え方が、子どもの成長に与える影響とはなんでしょうか。

人と対等な関係性を構築する仕方を学ぶことや、子ども自身がさまざまな感情を言語化して意見を伝えるプロセスを邪魔してしまうと感じます。

社会で「男らしさ」とされる、当然視され賞賛される特性のなかにある、他者への暴力や性差別的な言動につながったり、自分自身を大切にできなくしてしまうといった有害な性質のことを「有害な男らしさ」*(Toxic Masculinity)と言います。

子どもの育つ権利には、人と対等な関係性を構築する方法を学ぶことも含まれると思いますが、「有害な男らしさ」は、それを邪魔してしまうと感じています。子どもに対し、親が励ますつもりで「男なんだから出世しろ」、「男なんだから、姉や妹より良い大学に行け」のように言うことがあります。それらは、悪口や罵倒ではないですが、子どもが対等な人間関係を構築することを邪魔するような考え方を刷り込んでしまいます。

そして、それらは、「だって私は男だから」、「一家の長だから」といった、「有害な男らしさ」に基づく発言につながっていき、誰かよりも上でいるべき、上にいると感じさせてくれるべきという欲求を正当化してしまうのです。男性に限らず、人間というのは意識せずに相手より優位に立とうとすることがあると思います。そこは誰でもある弱いところで、「有害な男らしさ」の克服を阻害してしまうと感じています。

弁護士の仕事で離婚事件を担当することが多く、「有害な男らしさ」の塊のような夫のモラルハラスメント*をたくさん見ます。家庭という小さな空間で、配偶者を馬鹿にして罵倒する。そして、凄く罵倒しながら離婚に応じない、そうしたDV案件の離婚はとても多いです。

また、子ども自身が気持ちを表す権利へも影響があると思います。私の本「これからの男の子たちへ」の対談で、清田隆之さんが、男の人は感情を言語化するスキルが乏しい傾向があるとおっしゃっています。感情というのは、モヤモヤしているところから言葉にして初めて「ここに自分は傷ついていたんだ」、「ここに嫉妬していたんだ」と、解像度を高めて自覚することができます。

例えば、子どもが転んだときに「男の子だろう。痛くない痛くない」と言ってしまったりする。痛いものは痛いですよね。子どものころから親が先回りして、「あなたは今こう思っているのね」などと言わず、子どもが「痛い」、「苦しい」、「悲しい」と表現したら、そうなんだね、と受け止めることが感情を言語化する力につながります。それは幸せに生きるための一つのスキルだと思うのです。

「男は黙って●●するもの」のように、自分の気持ちを話すことは、いわゆる「男らしくないこと」とされてしまう傾向にあります。感情の言語化が「女っぽい」行動とみなされてしまうのです。しかし、そういう行動をむしろ奨励していきながら、子どもがもっと豊かに感情を表現できるようにしてあげたいと思っています。

*有害な男らしさ・・・1980年代にアメリカの心理学者が提唱した言葉(英語では Toxic Masculinity)。社会で男性が無自覚のうちにそうなるように仕向けられる「男らしさ」とされる特性は暴力や性差別的な言動につながったり、自分自身を大切にできなくさせたりする有害(toxic)な性質が埋め込まれていると指摘されています。

*モラルハラスメント・・・言葉や態度、身振りや文書などによって、相手の人格や尊厳を傷つけたり、肉体的、精神的に傷を負わせて、その人を追い詰めてしまうこと。うつ病などのメンタルヘルス不調の原因となることもあります。

日常に入り込んだジェンダーバイアスは、どうしたらなくしていけるのでしょうか。

「こういうこと言うのやめにしない?」と日々努力を積み重ね、社会通念をつくっていくことです。

ジェンダーの問題について伝える講演の様子 写真提供 太田 啓子 ジェンダーの問題について伝える講演の様子

「女性に学問はいらん」、「女性は社長になるな」といった、わかりやすい表現だけが性差別ではなく、ジェンダーに基づく偏見が、ジョークやお笑いのネタになっていることもあります。人の感覚は普段の言い回しなどで培われていくと思われ、そうしたことにこそ注意するべきだと考えています。本当に笑って良いことなのかをいちいち問うていく面倒な作業ではありますが、日々努力を積み重ね、少しずつ社会全体の意識を高めていくことが必要です。

弁護士として法律の策定にも関わりますが、このような問いを積み重ねる作業は法律をつくる一歩手前の社会通念をつくっていくことだと思います。「こういうことを言うのやめにしない?」とか、「こういう風に言い換えていかない?」といった日常の実践の積み重ねが差別をなくし、社会通念をつくり、そこで従来良しとされてきたことが、「もう今は違うよね」と変わっていくのです。

特に、子どもに関わる人に、そういうことをみんなでやっていこうと伝えたいです。私が子どもに伝えるだけで達成される話では決してないため、同世代の他の大人を巻き込んでいきたいと思っています。

日本における性差別について、子どもに伝えたいことはありますか。

自分たちが生きている世界が当たり前ではないし不完全であることです。

自分たちが生きている世界は不完全であること、そして当たり前ではないということを伝えたいです。今いるところが不完全なんだということは、子どもにとってイメージしづらいと思います。例えば、ニュースに映る国会中継に登場する人は、ほぼ年配の男性であるとき、「これは当たり前のことではないよ」と話したり、海外には、女性の首相も大統領もいるということを見せてイメージを湧かせたりしています。

子どもがある程度大きくなれば統計を見せて伝えることもできます。例えば、男女の賃金格差は割と子どもにもわかりやすいと思います。統計的には、正社員で男の人が働いて100万円稼いだとしても、女の人は80万円も貰えないなど、伝えやすいかもしれません。あとは、医学部入試の性差別についても、女性というだけで20点くらい点数が引かれてしまうことがあるといった話など、日々伝えています。

海外の方の人種差別についての文章のなかで、「子どもをレイシスト(人種差別主義者)に育てる方法は、レイシズム(人種差別)について語らないこと」だと書かれていました。だから、性差別についても語らないといけないと思うのです。「目の前にあるこれが、こういう理由で差別なんだよ、これおかしいんだよ」、と指摘していかなければなりません。

世界にはジェンダー平等を完全に達成している国はまだなく、より進んでいる国という状態しかありません。そういうことを具体的に教えていくしかないと思います。子どもに、おかしいことをおかしいこととしてすぐに理解してもらえるとは思わないですが、当たり前ではないと毎日ママが言っている、まずはそれぐらいわかってくれたらなと思います。

子どもたちをジェンダーに基づく偏見から守るため、親として日々実践されていることがあれば教えてください。

子ども自身の言葉でもちょっと気になることは話をするようにしたり、テレビでも気になる部分について日々伝えるようにしています。

日々、何かにつけて良くないと思うことは伝えていて、子ども自身の言葉でもちょっと気になると思うことは話をしたりします。最近だと、新年度になりクラスの名簿が配られたときに、こんなことがありました。最近のお子さんの名前はジェンダーニュートラルな名前が多くて、あるお子さんの名前を見て男の子と女の子のどちらなのかわからなかったので、素朴に子どもに聞きました。

すると、子どもは「男だけど、おかめっぽい」と、冗談のような感じで言ったんです。「おかめ」は、おそらくは「おかま」から派生した言葉で、子どもの日常空間にあるのだろうと思いました。すかさず、「ちょっと、大事な話があるから聞いてくれる」と言いました。

「どういう意味で『おかめっぽい』と、今使ったの?男の子なのに、「女っぽい」しぐさをするってことなんじゃないのかな。それは何も悪いことじゃないんだし、そういうのを面白いことだと思わないでほしい。そういうふうに人の仕草を笑いものにするって良くないことだから」と話しました。

また、テレビのコマーシャルはわかりやすい題材で、気になる部分について伝えるようにしています。コマーシャルやアニメには、女性がわかりやすい偏見の形で表現されていることがあります。最近では、食品メーカーのコマーシャルで「●●は50年間、日本のお母さんをお手伝いしてきました」といったナレーションが流れたときに、「ママ―、これ変だよね!お母さんって言った!料理はお母さんだけがやることじゃないのに、変だよね!」と子どもから言っていて、「よく気付いたね!その通りだよね。」と私も応じています。

子どもたちも、「これママが怒るやつだ」とわかってきて、ジェンダーバイアスがありそうな番組が映ったときも、こちらを見ながら「あ、これおかしいやつなのわかってるから」って言ったりします。そういうときは「何が悪いかわかっていれば良いよ」と伝えます。大変だけど、日々その場ですぐに言えなくても、昨日の話なんだけど、と後から言っても良いと思います。

また、大人が意識できたら良いと思うのは、自分の間違いを認めて正そうとする姿勢をあえて見せることです。これにはすごく意味があると思っています。「ちょっと乱暴な言い方をしたな」といったレベルのことでも、「さっきママすごい疲れたからこういう言い方して、ごめんね」とか、「昨日あなたにこう聞かれてそのときはこう言ったんだけど、こういう理由で後から間違っていると思い直しました。すみません」といったことを子どもに言えると良いと思います。

大人も間違うことや、その間違いを理由付きで認めることは、成熟した人間だからできることであると思いますし、間違った人の姿勢、背中を見せることが大事だと思います。それができない人が多く、社会のジェンダーバイアスの是正を邪魔していることの背景にはそれもあると思うのです。

子どもの指摘によって、気付かされたということも意識して伝えます。「●●くんは、さっきこう言ったよね。それでママはこういう風に思って、自分の誤りに気付けたの。ご指摘ありがとう」と言ったりします。実際には、親である私は圧倒的に強者であるからこそ、弱い立場にいる子どもたちからの指摘も認めていく、そうしたことは意識をするようにしています。

性差別も含め人権を大切にするという観点から、気をつけたいと思うこと、子どもたちに伝えたいと思うことはありますか。

人権が十分尊重されていないときは怒って良いということ、人権が尊重されない状況は変えられることを伝え、経験させること、そして今あるルールを問い直すことです。

子どものときにこそ、自分の人権が十分尊重されていないときは怒って良いんだということを伝え、人権が尊重されない状況は変えられるという経験をさせたいです。今の社会にはそれが一番足りていないと感じます。大人でもそうした経験は少ないです。

学校ではルールだから従うという発想を刷り込まれてしまいます。例えば、始業式などの荷物が少ないときに、ランドセルで行かなくても良いのに「今日はランドセルで良いのかな…。怒られないようにランドセルで行こう」と言ったりします。こうしたことには結構、問題意識を持っています。

そのルールに理由があるかを問うのではなくて、とりあえずルールだから従うといった姿勢を学校で身につけさせられてしまう。同調圧力に抗う姿勢ではなく、むしろ同調することが奨励される。世の中にはおかしなルールがあり、それは時代に合っていなかったりもします。

校則も含めてルールだから従うという発想をやめること、ルールの理由を考えること、納得ができないルールがあれば変えるという発想を持つこと、そしてそうしたルールは今社会にいるあなたが変えられるもので、無条件に受け入れなくてもよいということを子どもに伝えていきたいです。

そういったことを子育てで意識しながら、小さくても自己決定の機会をつくっていきたいと思います。

※本インタビューは、特に「男らしさ」と女性差別という視点で、ジェンダーの問題を取り上げています。

太田 啓子(おおた・けいこ)

現職:弁護士

プロフィール:
2002年弁護士登録(神奈川県弁護士会 湘南合同法律事務所)。日本弁護士連合会両性の平等に関する委員会委員、神奈川県男女共同参画審議会委員等経験。一般民事事件、家事事件(離婚等)を多く扱う。二児の母。
もっと学びたい人へ:
『これからの男の子たちへ 「男らしさ」から自由になるためのレッスン』
太田啓子(著) 大月書店 2020年
『これからの男の子たちへ 「男らしさ」から自由になるためのレッスン
                        太田啓子(著)大月書店 2020年