こどものミカタ

子どもの視点を学ぶ

『思春期』から考える子ども

鴻巣 麻里香さん ソーシャルワーカー・精神保健福祉士

鴻巣 麻里香さん

ソーシャルワーカー・精神保健福祉士

子どもの『しんどさ』に
耳を傾けよう

「思春期は不安定」、「思春期はイライラしがち」など、思春期につながる言葉には子どもたちと向き合うことを難しく感じさせるものが多くあります。スクールソーシャルワーカーやこども食堂の運営者として、学校や地域の多くの子どもたちと関わってきた鴻巣麻里香さんは、『思春期』という言葉によって、大人は子どもが抱える『しんどさ』の本質を見ようとしていないのではと指摘します。体と心に大きな変化がある時期に子どもが抱える『しんどさ』と向き合うために何ができるのでしょうか。

「思春期」の子どもが抱える「しんどさ」はどういったものがあるのでしょうか。

「しんどさ」の要因のひとつ には、多くの場合、大人の期待や心配があります。

子どもたちとの対話を通し、子どもが感じる「しんどさ」の要因のひとつには、多くの場合、大人の期待や心配があると感じます。大人には、子どもにこうあってほしい、こうあるべきという期待があります。立派に育ってほしい、健康であってほしい、幸せであってほしいという願いや期待は、子育てをする上で大切です。しかし、今目の前にいる子ども自身が何がしたいか、何が苦しいか、どうありたいかよりも、未来の子どもに向けた大人側の期待や心配が子どもを苦しめてしまうことがあります。

例えば、つらいことがあり子どもが学校に行けなくなったときに、親は今学校に行くのが苦しい子どものしんどさ、学校に行きたいけれど行けない、学校に行きたくないという子どもの思い、どうありたいかという子どもの気持ちよりも、このまま学校に行けなかったら、この子はどうなってしまうんだろう、将来仕事ができるのか、ちゃんと自立できるのかという将来への心配が先に立ってしまいがちです。心配の裏返しである「こうなってほしいという大人の期待」を、未来の子どもが達成できないのではないか、期待が裏切られるのではないかという気がして大人は不安になります。

その結果、子どもは親が今ここで苦しい自分のことを心配しているのではなく、まだ存在しない未来の自分ばかりを心配していると感じます。大人のこうあるべきという期待が子どもを苦しめるのです。

子どもをしんどくさせる社会背景には、どのようなものがあるのでしょう。

資本主義が行き過ぎた結果、市場を低年齢化させてお金を儲けようとする大人の欲望が子どもを苦しませています。

今の社会には、資本主義が行き過ぎた結果、市場を低年齢化させてお金を儲けようという大人の欲望があります。例えば、子どもたちは自分の容姿が綺麗じゃないのがしんどい、痩せなきゃいけないのに痩せられなくてしんどいと言います。彼らはSNSなどでどこまで加工かわからない、目が大きくほっそりした姿のインフルエンサーたちを見て、そうなれない自分は駄目だと感じます。そこには巧みにインフルエンサーを使って、お金儲けをしようとする大人たちの欲望があります。

インフルエンサーたちは例えば美容整形の広告塔として子どもたちに対して圧をかけてきます。痩せて綺麗でないといけません、努力して美しくならなければなりません、美しくないあなたに価値はありません、というメッセージが子どもたちに届きます。結果として子どもたちは自分のことが嫌いになる、自分の体や容姿のことを好きになれない、変えなければならないと思い詰めてしまうのです。

それ以外にも、オンライン上にはさまざまな差別的な情報が野放しであふれていて、それを見て苦しくなってしまう子どもたちもいます。これらの情報は、お金が動く大人の市場の延長線上なので、大人が自らを潤したいという欲望に子どもたちが巻き込まれているのです。世の中は自分にこんな眼差しを向けてきているんだと思わせ、子どもを苦しくさせているのです。

その他に大人たちのどのような考え方が子どもたちをしんどくさせていますか?

苦しさを汲んでもらえず癒されなかった大人がもつ「苦しみは耐えるべき」という価値観です。

大人が子ども時代に経験し、その後癒されることがなかった恨みや苦しさも、子どもを苦しめます。私たち大人の中には子どものときにいろいろな抑圧を受け、その苦しさを汲んでもらえず癒やされていない部分があります。そのような場合、大人もほとんど意識できていないですが、私たちは耐えてきたのだからあなたたちも耐えるべきであるという価値観を、今の子どもたちに押しつけてしまうことがあります。

例えば、体罰に意味や効果はないのですが、体罰を受けてきた大人にとって、それが無意味な苦しさだと受け入れるのはつらいことです。何か意味があるに違いないと頑張って耐えてきた子どもの頃の自分を否定することになるからです。無意味という事実を受け入れることが苦しいので、あの体罰を耐える意味はあったし、耐えて良かったと記憶を改ざんしてしまいます。そうしたいろいろな抑圧に耐えてきた大人の恨みから、「面倒くさいことや問題が多く起き、揺らぎがちな思春期だからこそ、子どもたちに我慢を教えなければならない」という人がいます。

思春期は女性も男性も体が大きく変化する時期であり、その変化に気持ちを沿わせていくのはとても難しく、そういった面でセンシティブと言われることがあります。私たちは外からの刺激に対して反応するものですが、特にセンシティブなこの時期に、攻撃的な刺激や自分を否定してくるような情報に影響を受け、それに対して揺らいだり、苦しくなると、「ほら、思春期だから」と言われてしまいます。そうすると、子どもたちは自分の体や心の揺らぎのままで過ごすことができず、大人に自分の悩みや問題の本質と誠実に向き合ってもらえないと感じます。「思春期」という言葉はとてもよく使われていますが、1回使うのをやめようと提案したいです。

そうした『しんどさ』は子ども自身にどういった影響を与えるのでしょうか。

自分を否定してしまうフィルターや、苦しみを与えるべき、苦しみは耐えるべきというフィルターを自分の中に取り込んでしまいます。

周りからの攻撃的な刺激や情報に影響を受け、思春期と呼ばれる時期に自分自身の揺らぎや悩みに向き合えない、または向き合ってもらえないことで、自分の中に持ってしまうフィルターが2つあります。

1つめが自分を否定してしまう、自分なんて駄目で価値がない、頑張ったって無駄、誰も助けてくれない、わかってもらえないというフィルターです。もう1つは、厳しいことを言われるなどの抑圧を頑張って耐え切ることで取り込んでしまう、他者に苦しみを与えるべき、苦しみは耐えられるというフィルターです。

それによって、大人になってもハラスメントや理不尽な抑圧、人権が侵害される場面でも耐えなければならないと自分を苦しめたり、逆に自分が今度は誰かを苦しめる側に回ってしまうのです。この程度のことは耐えられるはず、耐えるべき、と今の大人たちが子どもたちにやってしまうようなことを自らするようになるのです。

『しんどさ』は耐えなくても良いのでしょうか。

過度にしんどいものは耐えてはいけませんが、少し我慢した先に自分をハッピーにしてくれるものがあるときは少し耐えることも大切です。

しんどいものを全部耐えなくても良いというわけではなく、その先に自分をもっとハッピーにしてくれるような大きなリターンがあるときは、体と心を壊さない程度に少し我慢するのは大事です。やりたくない勉強をやった結果、行きたい大学に行ける、なりたい職業に就けて自分がハッピーになれるなら、今その勉強する苦しさを我慢するということは多くの子どもたちがすでにやっています。

それ自体は健康を害さないし、今のやりたいことを少し我慢した結果、自分に対して確実に良いリターンがあると思います。たとえ希望した学校に合格できなかったり、就きたい仕事に就けなかったりしたとしても、今学んでいることは、知識という形で蓄積され、決してマイナスにならないと思います。

しかし、過度にしんどいことを耐えてはいけません。例えば睡眠時間を削りすぎてしまう、あるいはそのリターンとして設定した目標が自分の目標じゃなく、親や先生からの「あなたはこうなりなさい」という期待が優先されているような場合は、耐えたり、我慢してはいけないしんどさだと思います。

『思春期』の子どもたちとの関わりの中で大切にされていることはありますか。

大人が暇そうにすること、また家の中ではできるだけ親も子どももご機嫌でいることです。

普段子どもたちと関わるうえで大切にしているのは、大人である私たちが暇そうにすることです。そうすると、子どもたちが話しかけてきます。忙しくしている大人には子どもは話しかけるのが難しいですし、何より、忙しくしてなければならないという、良くないメッセージも送ってしまいます。できるだけ子どもと一緒にいるときは暇そうにしているのが良いと思います。

ただ、子どもと関わる現場には、暇な自分を許せない人たちがいたりします。学校の先生が良い例ですが、そういった人たちは、暇な子どもを見ると許せなかったり、どうにかしないとという気持ちが出てきてしまう。休み時間にずっと机で頬杖ついてボーッとしている子がいると、かわいそう、寂しそう、声をかけなきゃ、一緒に遊ぼうと声をかけたら?と、他の子どもを促したりします。その子にとっては大事なボーっとする時間だったのに、声をかけられて、やりたくもないドッジボールや長縄跳びをさせられて疲れるんですと言う子どもたちが結構います。

子どもは本当に忙しくて、学校に行けばずっとやることがあって給食の時間も短いし、最近は長めの休み時間だと好きにさせてもらえない。今日はスポーツの日ですとか、やることが決まっていてキツキツなので、子どもたちにとって今暇な時間があるということがすごく大事だと思います。大人自身も、自分が暇であることを許すことはすごく大事ですし、隙間がないと子どもの話も聞けないです。

また、家の中はできるだけ親も子どももご機嫌で心地よい関係性であった方が良いです。子どもに望ましい行動をとらせたいと思っても、家の中に不機嫌な要素を持ち込んだらお互いに苦しくなってしまいますよね。

これまでの経験を踏まえて、子どもの権利が実現される社会のために、身近なところからできることは何でしょうか。

大人が子どもの話を聴いていくと子どもは自分の意見を育てていけるようになるので、とにかく子どもの話を聴くことです。

子どもの話を聴くことが何よりも大切です。子どもが望ましくない行動をしてしまったとき、その行動に対して叱責をする前に、「何があったの?」という一言があるかどうかは大きいです。ただ、子どもは大人から話を聴かれることに慣れていないと、自分の意見や自分の中で起きていることを言葉で伝えることができません。耳を傾けて話を聞くことはすごく難しい作業なのです。

子どもに聞いても、「なんでもない」、「大丈夫」と返ってきたり、どう言って良いかわからなくて黙ってしまったりする場面があると思います。そうすると、大人もどうしようと不安になったり、「どうして黙っているの」、「何も言えないの」とイライラしたりします。今まで大人にあまり話を聞いてもらえていないのに、いきなり話せるわけがないのです。まずは大人がとにかく黙ってしっかりと聴くことで、子どもは聴かれることに慣れる経験を積むことができます。

子どもは未熟でものを知らないから、子どもの意見ばかり聞いていたら間違った選択をしてしまう、または子どもの好き放題させていたら良くないことが起きてしまうため、大人が代わりに決めて守ってあげなければならないと言う人がいます。

私は、子どもは未熟で、経験が足りていない存在だからこそ、意見が聞かれる経験を積んでいかなければならないと考えます。子どもが自分はちゃんと意見が表明できるという手応えを持たないと、自分の周りで起きていることを知ろう、調べよう、大人の考えを聞いてみようとはなりません。大人に聞かれるという経験をたくさん積むことで、例えば、自分の安全を守るためにはどうしたら良いんだろうなど、さまざまな自分の中の意見を育てていくことができるのです。

何が出てきても、何にも出てこなかったとしても、聴くという姿勢を大人が常に持っておくことが大事です。

子どもの話を聴くときにどんなことを心がけていますか。

子どもの話を正しい、間違っているの判断をせずに聴くこと。普段から子どもと言葉を交わしておくことです。

子どもに聞いて出てきた意見や考えが大人にとって期待に沿わない話だったとしても、それを正しいか間違っているかの判断をせずに理解することです。1人の子どもが、未熟ではあるけれども、今感じている限られた情報の中から導き出した意見や見解で、あなたはこんなふうに思ったんだと一旦は受け止めるのです。

ただ、それが例えばその子の安全を脅かす内容や考えの場合、そこから対話が必要になってきます。あなたの考えはわかったけれども、私の話も聞いてもらって良いかな、あなたの考えの通りにすると、こういう結果になってしまってあなた自身が苦しくなるかもしれないよ、とこちらの意見を伝えていきます。対話の中でこちらの話を聞いてどう感じたかな、と聞いていきます。

また、普段からいろいろなことで子どもと言葉を交わすことも心がけています。大人にとっては、子どもの意見を聴くトレーニング、子どもにとっては、自分の意見を話すトレーニングとして、たくさんの機会を導入すると良いと思います。

我が家では、子どもと一緒に映画やドラマを観たり、共通の本を読んだりするので、「今の映画のシーンどう思った?」とか、「この本読んでどう思った?」ということを聞いたり話したりします。その中で「ママはどう感じた」、「私はこう感じた」、「同じだね」、「違っているね」と会話が生まれます。

もし何か問題が起きていそうな場合、いきなりその子どもの悩み事や抱えているものなど、問題の根本に関する話を聞こうと思っても、子どもは話すことや聞かれることに慣れておらず話せません。問題とはちょっと離れたところにある話の題材を持ってきて、「それについてどう思う?」ということを、ちょっとした隙間に取り入れていくのは、良いと思います。そのためにも、子どもも大人も暇じゃなきゃいけないですよね。朝起きてから寝るまで常に動きっぱなしといった場合、子どもと言葉を交わす時間がなくなってしまうため、子どもと話す時間を意識してつくっていくことが大事です。

私たち大人はもっと暇で良いし、もっと弱くても良いと思います。私たち大人が生きている社会が、弱さを許さない、生産性に比重を置きすぎて無駄なものを許さなくなっています。そんな世の中だと子どもが苦しくなってしまうし、私たち大人も苦しいはずです。人は弱くて間違えるし、無駄なものをいっぱい愛してしまう存在だよね、という前提で、いつでもやり直しができる世の中、間違った選択をしてもちょっと手前に戻って何度でもやり直せる世の中をつくっていきたいです。子どものために頑張らなきゃじゃなくて、私たち大人が肩の力を抜くことが大事なのかなと思います。

鴻巣 麻里香(こうのす・まりか)

現職:
スクールソーシャルワーカー、精神保健福祉士
プロフィール:
ソーシャルワーカー。精神保健福祉士。非営利団体KAKECOMI(カケコミ)代表 。精神科医療機関、東日本大震災被災者支援機関を経て、スクールソーシャルワーカーとして貧困や児童虐待、不登校、DVといった子どもと親子をとりまく社会問題に取り組む。福島県白河市で市民団体KAKECOMIを主催し、こども食堂と民間シェルターを運営している。
もっと学びたい人へ:
『思春期のしんどさってなんだろう?あなたと考えたいあなたを苦しめる社会の問題』
鴻巣麻里香 (著) 平凡社 2023年
思春期のしんどさってなんだろう?あなたと考えたいあなたを苦しめる社会の問題 鴻巣麻里香 (著) 平凡社 2023年