世界人道の日にあたって(2014.08.19)

多くの人々は、「人道支援活動」と聞けば、助けをもっとも必要とする人々に支援を届けるために、海外からやってきた命の危険を顧みずに活躍する勇敢なスタッフから編成された国連の支援部隊やヘリコプターを思い浮かべるでしょう。これは勿論事実の一面ですが、人道支援活動を実施しているスタッフの大半は現地のスタッフなのです。

彼らは、考えうる最も困難な状況下で緊急対応を実施する人たちです。家族から遠く離れ、何カ月もの間テントで寝起きし、日に18時間も働いています。しかし、残念なことに彼らの姿をテレビ等の報道で目にすることはあまりありません。

世界人道の日である8月19日の今日、私たちの勇敢な同僚の一人で、南スーダン子ども保護事業のオフィサーであるジョン・ガラングをご紹介します。ジョンは人道主義の権化のような人です。彼の笑顔や行動に触れれば、必ず彼の情熱を感じることができるでしょう。

  

ジョンの情熱・行動は、彼のこれまでの生存と苦闘の物語から生まれているものでもあるのです。なぜなら、彼も紛争により生活を永久に変えられた子どもの一人であるからです。

無名の救出者

ジョンは言います。「私の行動力の源は、過去の体験です。私は、第二次スーダン内戦中の2万人におよぶ”スーダンのロストボーイズ”の一人でした。1986年、私は14歳でした。故郷の村で戦闘がはじまり、私は皆とはぐれて一人ぼっちになってしまいました。藪の中で幾夜も過ごし、何日も横たわっていました。しかしある時、このままじっと死ぬのを待っていてはいけないと思い、疲れ切った体を起こしたのです。」

ジョンは続けます。「一人の男性が私の横を通りすぎてから戻って来ました。この時、私は話すことが出来ませんでした。気がつくと、男性は私を抱き上げて歩き出し、最後に立ち止まった時に水と牛乳を飲ませてくれたのです。そして翌日には、私は再び話すことが出来るようになりました。」

これが自分の仕事だ

ジョンは、あちこちのキャンプを転々とした後、ケニアのカクマ難民キャンプに落ち着き、ここで教育を修了させ教師になりました。その後ジョンは家族との再会も果たし、2007年に故郷の村のセーブ・ザ・チルドレンで働き始めました。

「セーブ・ザ・チルドレンに加わって日々活動を続けているのは、過去の体験があったからこそなのです。どの子の顔を見ても、あの時の男性が私にしてくれた様に助けの手を差し伸べたくなります。これが私の仕事でなければならないのです」

歴史を作ったような気がする

ジョンは南スーダンにおける度重なる危機的状況下で、これまで様々な役割を果たしてきました。2013年12月の紛争勃発時に、家族とはぐれて恐怖におののいた子ども達が家族と再会できるよう彼のチームが支援活動を実施した時の状況を語りながら、「歴史を作ったような気がする」と、ジョンは言います。「私たちが現場に到着した時に、家族とはぐれた子どもたちの数がどれほどのものだったか、皆さんには想像もできないと思います。それは衝撃的でした。」

「私は、子どもたちが自分たちの権利を実現するのを手助けするのが、とりわけ好きです」と、ジョンは言います。「彼らの難しい課題に耳を傾け、我々に何をして欲しいかを知るのは重要なことです。そのために子どもたちが、自分たちに影響を及ぼす諸問題について、大人やセーブ・ザ・チルドレンのスタッフと話し合うことが出来るプログラムを立ち上げました。」



世界人道の日の今日、ジョンが共に活動している子どもたちについても考えてみましょう。子どもたちはジョンのチームが運営する安全な遊び場所で回復し、子どもであることを取り戻すのです。この子どもたちの多くは、想像もできないような悲惨な状況を目撃し、紛争によって精神的な傷に耐えてきたのです。しかし、一人の男性が30年前にジョンのためにしてくれたように、今はジョンが子どもたちに希望を与えています。

「これが私の仕事でなければならなかったし、それをとても誇りに思っています。」―ジョンを始めとする人道支援活動に携わるスタッフ全員の物語が、セーブ・ザ・チルドレンで働くことを誇りに思わせてくれます。


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