【ウクライナ危機から2年】ルーマニアに避難している子どもたちへの教育支援とこころのケア支援

セーブ・ザ・チルドレンは、2023年3月31日から「ルーマニア・コンスタンツァ県におけるウクライナ難民およびホストコミュニティの子どもたちのための教育および心理社会的支援事業」を実施し、2023年10月に完了しました。(詳細はこちら)。この事業に参加したウクライナ難民の子どもの声を紹介します。

ナザルさん(9歳)は、セーブ・ザ・チルドレンがルーマニアで実施する放課後活動とこころのケアの活動に参加しています。もともとウクライナ北部チェリニヒウ市で両親と暮らしていましたが、2022年2月24日に安全を求めて、ウクライナ国内を転々としたのち、ブルガリアを経てルーマニアに来ました。

母親と最初に避難した先は、近隣の村に住んでいた祖母のところだったというナザルさんは、「カバン一つで逃げてきました。この状況が長く続くとは思わなかったし、すぐに元の生活に戻れると思っていました」と語ります。



 ナザルさん(9歳)

2022年10月に、ナザルさんと母親は、現在居住するルーマニア南東部コンスタンツァ県に到着します。

母親は、ナザルさんが安全に学び、友だちと遊べる生活を送らせてあげたいとの思いで難民支援をしている団体を探し、セーブ・ザ・チルドレンが行っていた放課後活動を知りました。

ナザルさんは、放課後活動に参加し、その中で同年代の子どもたちと交流し、新しくできた友だちと大好きだったサッカーをすることができています。



 サッカーをするナザルさん

ナザルさんは、「放課後活動に来るのが本当に楽しいです。友だちがたくさんいるし、友だちや先生と母国語でコミュニケーションが取れます。毎日午後2時に(放課後活動が行われている)学校に来るのが楽しみです。ルーマニアの友だちともしゃべられるように、ルーマニア語の勉強も始めました。心理士との活動も好きです。絵の具を使って絵を描いたり、ゲームを通して自分を表現することができます」と、教えてくれました。

同じくコンスタンツァ県で活動に参加しているキリーロさん(11歳)は、家族でウクライナのオデーサ州に住んでいました。2022年2月24日以降、キリーロさんの母親はスーツケースを2個持って、子どもたちとルーマニアを経由してドイツへ向かいました。
 


父親と釣りに行ったり、ペットの犬と散歩に行くのが好きだというキリーロさん(11歳)

ドイツの学校では、キリーロさんは唯一のウクライナ人でした。クラスメートと言葉が通じず、友だちをつくることができなかったため学校へ行く意欲を失っていきました。また、ウクライナの自宅や残してきた家族、友だちのことを考えて、寂しくなる時間が多くなっていきました。

このような状況に置かれているキリーロさんを見た母親は、危険があることを分かりつつウクライナに戻る決断をします。しかし、その数日後に、知り合いがルーマニアのコンスタンツァ県に住んでいることを知り、命の危険を冒すよりは、とルーマニアに移住することを決めました。2022年10月のことでした。

2022年12月から、キリーロさんはセーブ・ザ・チルドレンが実施する放課後活動に参加します。2023年の夏休みには、4泊5日のサマーキャンプにも参加しました。放課後活動やサマーキャンプを通して、学校だけではなくそれ以外の時間にも一緒に遊べる友だちができました。

2023年9月には、ルーマニアの学校に登録して授業に参加するようになります。もともとルーマニア語のクラスに通っていたことや、ルーマニアの子どもたちに英語を話せる子がいたことで、ドイツの学校よりも大きな困難を感じることなく環境に慣れていくことができました。

今は、新しい友だちに助けてもらいながら積極的にルーマニア語を学び、セーブ・ザ・チルドレンが実施する放課後活動のルーマニア語の授業にも出席しています。



  放課後活動で学ぶキリーロさん

ウクライナでの紛争が長期化する中、母国にすぐに帰ることは難しいと感じている難民も増えており、支援の内容も避難先の社会や地域で生活をしていけるように後押しするものに変わってきています。ただ、ウクライナ難民の故郷に対する思いが薄れているわけではありません。

ナザルさんは、「ウクライナに帰れるようになれば、それが例え一時的でもすごくうれしいけど、今は難しい。ウクライナで兵役につき2年間会えていないお父さんのことがすごく恋しいです。ウクライナに残っているおばあちゃんにもずっと会えていなくて寂しい」と、教えてくれました。キリーロさんの母親も、「息子は、ウクライナの友だちのことも忘れていません。ウクライナのオンライン授業にも継続して参加しています」と語ります。

一方で、故郷に帰ることができないという複雑な気持ちを抱えながらも、新しい生活を受け入れ、現状を前向きに捉える姿も見られました。

ナザルさんは、「もうウクライナには戻れないかもしれない。ルーマニアが私たちの新しい家になるんだと思い始めています」と話し、キリーロさんの母親は「初めの頃は、息子はホームシックになり、いつウクライナに帰るのかと頻繁に聞いてきました。徐々にルーマニアでの生活に慣れてきて、今では自分の家について話すときウクライナの家ではなくてルーマニアの家のことを指すようになりました」と、子どもの変化を語ります。

2年前に突然始まった危機により、自宅や学校を離れ、それまでの生活を奪われた子どもたちとその家族にとって、母国に残してきた家族や親せき、友だち、ペットの安否を心配しながら、いつまで続くか分からない避難生活を送ることが心身に与える影響は想像に難くありません。

しかし、私たちは、放課後活動やこころのケアの活動を続ける中で、学習の習得度の向上や物質的な支援といった直接的な成果だけではなく、毎日楽しみな日課ができることや、信頼できる人間関係、支え合えるコミュニティの存在があることが、いかに人々を前向きにさせるかということも目の当たりにしてきました。

今後、危機が終息し、ウクライナ危機により影響を受けているすべての人たちが不安や悲しみを乗り越えて、それぞれの場所で生活の再建に向かうとき、ルーマニアで行っているこの活動の中で得られた経験や関係性、前向きな気持ちがきっと難民の人たち自身にプラスに働くと信じて、これからも支援を続けます。

次回のブログでは、避難先でも地域の一員として貢献し続ける難民についてご紹介します。

(ルーマニア駐在員・清水奈々子)
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