(公開日:2012.07.30)
「すべての愛にありがとう」岩手県学校農業クラブ連盟大会意見発表(2012.07.30)
- 日本/東日本大震災/教育
7月3日、農業クラブ連盟全国大会の岩手県予選にあたる「岩手県学校農業クラブ連盟大会」へ、「キリン『絆』奨学金」を受給している岩手県立遠野緑峰高等学校の生徒さんが意見発表の部で出場しました。
「キリンSCJ『絆』奨学金」は被災地の将来の発展を支える子どもたちの学びの機会を大切にしたいと願うキリングループと、世界中で子どもの権利が実現される社会を目指すセーブ・ザ・チルドレン・ジャパン(以下、SCJ)が岩手・宮城・福島県内の県立農業高等学校及び県立高等学校の農業科に在籍している高校生を対象に、キリングループと協働で実施しているものです。2011年10月31日より奨学金の給付を開始しました。
本大会の主催団体である日本学校農業クラブ連盟は、1948年(昭和23年)に学校農業クラブ(SAC:school Agriculture Club)として、戦後の新制高等学校の学習活動の中で、農業高校生の自主的・自発的な組織として日本全国で誕生しました。
(農業クラブホームページより)
全国各地で農業を学ぶ高校生が、農業クラブ員として「指導性」「社会性」「科学性」の伸長を目標に日々プロジェクト活動をはじめ各専門分野の活動を行っています。
『日本学校農業クラブ連盟全国大会』は、これらの活動の成果を発表する場として設けられています。
『区分:文化・生活』では、9人の生徒さんが意見発表をされました。
( 1 文化や交流・福祉に関する意見 2 学校生活や家庭生活に関する意見 )
農業に関わる多くの生徒さんは、小さい頃から一緒に過ごしてきたおじいさん・おばあさんの影響を大きく受けて農業を始めとする将来の夢を定めた方が多く、発表内容は優しさや人を思う気持ちがあふれるものでした。また、経験から自分を見つめて何が必要か考え、自分の使命や将来の夢を生き生きと述べていました。「失敗を恐れず前に進んでいきます」、「大きなことは出来なくても私にできることをして地域を盛り上げたい」といった高校生の等身大の思いがひしひしと伝わってきました。
農業に対する思い、環境に対する考え、地域の活性化や介護・福祉に至るまで様々な意見が発表される中で、今回、「キリンSCJ『絆』奨学金」を受給しながら農業を学んでいる岩手県立遠野緑峰高等学校1年生の菊池さんは、東日本大震災の津波の経験を踏まえ感謝の気持ちと農業への思いを発表しました。
一番最後に発表した、岩手県立遠野緑峰高等学校の菊池さん。
経験豊富な上級生に混じりながら、初めての出場とは思えない堂々とした発表でした。入賞は残念ながら逃してしまいましたが、菊池さんの思いを多くの方々にお伝えしたいと思います。
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『すべての愛にありがとう』
私には、「ありがとう」という言葉を伝えたい人たちがいます。
その一人は、家庭菜園を楽しんでいる祖父です。私は幼い時からこの家庭菜園を手伝っています。春にはジャガイモを植え、夏はミニトマト、ピーマンの収穫などと、いろいろな野菜を育てています。
はじめて手伝った時はとても大変でした。いろいろな野菜の種や苗を畑に植えたり、たい肥にする落ち葉拾いに山へ行ったりしました。大きな荷物を持ったり、土を掘り返したりと、常に体を動かす作業が大変で、正直言って手伝うのが嫌でした。
でも、祖父は楽しそうな笑顔で農作業に夢中になっているのです。
「こんなに大変なのになんで楽しそうなの」
と聞くと、
「大きく育つのが楽しみだからだよ」
という返事が返ってきました。
私にはその楽しみがどんなものかわかりませんでした。しかし、野菜が大きくなっていく様子をみていると、「早く育ってね」という気持ちになり、少しずつ楽しさがわかるようになってきました。そして、将来は自分の手で色々な野菜を育ててみたいと考えるようにもなりました。
そして、あの大震災後に私たちを支えてくれた多くの方にも「ありがとう」と伝えたいです。
地震発生の瞬間、私は部活動中で体育館にいました。最初は何が起こったのかわかりませんでした。とても大きな揺れに驚いてすぐ外に出ると、隣の小学校の児童たちと約800メートル離れた第一避難所まで走りました。何が何だかわからない恐怖感から泣き出しそうだったけど、一緒に逃げる小学生の姿を見て、「自分がしっかりしなきゃダメ。とにかく逃げなきゃ」ということで頭がいっぱいでした。
避難所に着くと、そこはみるみるうちに人があふれてきたので、さらに上の第2避難所へ避難をはじめました。
「全員避難できたの?」
気になって振り返ってみると黒い水しぶきが上がってくるのが見えたので、さらに高い国道まで走りました。必死の思いで国道にたどり着いて再び振り返った時、思い出がいっぱい残っている小学校、中学校だけでなく、私の暮らしていた釜石市鵜住居町はほとんど津波にのみこまれていました。釜石東中学校では約7割の生徒が住むところを失い、今でも仮設住宅で暮らしています。
私の家は1階まで浸水しました。震災のあと1か月は電気が通らず、3か月も水が出ず、祖父の家まで水を汲みに行ったりして、とても不自由でした。
また、校舎が流されてしまったので、市内の学校に間借りして1年間生活しました。楽しみにしていた最後の運動会や、1年生のころから出たかった「釜石よいさ」というお祭りがなくなり、卒業式も間借りの学校で行われました。部活動の道具もすべて流され、とても悲しかったです。
そんな時、全国の方々からいただいた支援のおかげで、元気を取り戻し、頑張ることが出来ました。ボランティアに訪れた人たちと、オランダ領事館からいただいたチューリップの球根を、地元のフラワーロードに植える活動にも参加しました。この春、道路沿いにチューリップがきれいに咲くのを見て、とてもうれしかったです。
震災で修学旅行に行けなくなったことを知った当時の大阪市長が、修学旅行をプレゼントしてくれました。友達と過ごした時間は最高の宝物です。
そして、日常生活が少しずつ回復してきた昨年の夏、遠野緑峰高校の一日体験入学に参加しました。いとこから「農業高校は楽しいよ」と聞いていた私は、以前から参加を決めていました。ビニールハウスで栽培されている沢山のトマトに驚き、初めて体験したトマトの糖度測定はとても楽しかったです。このとき、野菜を育てる楽しみを肌で感じ、「絶対、この学校で農業を勉強したい」という気持ちがいっそう強くなりました。そして、野菜を育てる楽しみを祖父の家庭菜園で一緒に味わいたいと思ったのです。
ところが、肝心の家庭菜園は、放射能汚染の心配もあり、震災前よりすっかりさびしくなりました。私はこのことがとても残念でなりません。これから高校三年間で農業に関する多くの事を学んで、祖父と野菜作りを楽しめる日を取り戻し、家庭菜園を復興させることが今の目標です。
また、将来は釜石の復興に役立てる仕事に就きたいと思っています。ボランティア活動のも積極的に参加して、多くの人を笑顔にできる様頑張りたいです。何事にも「あきらめない」という気持ちで挑戦することが私の信条です。
私が受けた防災教育では「助けられる人から助ける人へ」が合言葉でした。多くの方から頂いた「愛」を、今度は多くの人に届けていくことが私の使命だと感じています。
農業の大変さと楽しさを教えてくれた祖父。
遠野に通うことを応援してくれた家族、特に毎日仕事帰りに迎えに来てくれる父と兄に感謝しています。
そして、大切なものを沢山失った私たちにいろんな形で希望をあたえてくれたボランティアの人たち。
私は、多くの人の「愛」をかみしめながら、あの大津波にも負けなかった自分を信じて、3年間農業を学んでいきたいです。
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将来、農業を志す生徒のみなさんが学業に明るい未来を見出すため、そして東北地方に受け継がれてきた豊かな農業を未来につなげていくために、キリングループのご支援の下、私たちはこれからも農業高校の皆さんを応援していきます
(報告 : 遠野事務所 藤原 和歌子)