「アフガンに生きる子どもたち」最終回

おとなたちの責任

表紙写真_少女の瞳にはどんなアフガニスタンの未来が映るのだろう=バーミヤン州.JPG

少女の瞳にはどんなアフガニスタンの未来が映るのだろう

旧タリバン政権の崩壊から今年で10年になる。それでも、アフガニスタンは子どもの生育環境として未だ世界で最も危険な国といわれる。各地で戦闘や自爆テロ、爆弾の炸裂などが続発し、子どもを含む市民が巻き添えになるケースが後を絶たない。治安情勢は不安定なままだ。

子どもたちの内面の奥底には、戦禍の傷跡が今も残る。孤児院を訪問した時、武力紛争で親を失った子どもたちと出会った。12歳の少年が落ち着いた口調で話をしてくれた。
「ある日突然、タリバン兵が家に押し入ってきたんだ。彼らは、僕のお父さんが銃を隠し持っているというんだ。お父さんは反論したけど無駄だった。タリバン兵に何度も何度も銃で殴られていた。僕は怖くて何もできなかった。数日後、お父さんは死んでしまった。アフガニスタンでは父親は偉大な存在なんだよ。お父さんを失うこと、これはとっても辛いこと」

13歳の少女は声をふり絞って語ってくれた。
「バーミヤンでタリバン兵が争いをしていたとき、私のお父さんを近くの洞穴まで強制的に連れて行ったの。怖かった。その夜、洞穴で亡くなっているお父さんが見つかった。殴られた痕がたくさんあった......」
白のスカーフで顔を包んだ彼女の表情に悔しさがにじんだ。そして、こう続けた。
「お父さんを亡くしたら、もう取り戻すことなんてできない。ただそれを受け入れるしかない――」

その言葉には、やり場のない哀しみと、現実を直視し事実をありのままに受けとめようとするアフガン少女の気丈さが垣間見えた。

アフガニスタンのような紛争影響国が平和に向かうには、外からの援助がまだまだ必要だ。もっと大切なのは、紛争を始めたおとなたちが、責任を持って、今度はその復興と開発を前進させることだ。子どもはおとなの行動を見て育つ。醜い争いを二度と起こさないためにも、おとなの果たすべき責任は重い。

日本社会に目を転じると、子どもたちの置かれている環境はどうだろう。虐待、学校でのいじめや偏見、自死などの事件が報道される度に、それは氷山の一角に過ぎないのでは、と思う。子どもを取り巻く環境を改善すべく、おとなたちに問われる責任は大きい。

また一方、日本の貧困問題も見逃すことができない。日本の子どもの貧困率は14%であり、子どもの七人に一人が相対的貧困下にあるという[i]。経済的貧しさや家庭の事情により、子どもが病気になっても病院や診療所に行けない、高校・大学へ進学ができない、という実態がある。

貧困は、子どもが健康的に暮らし、教育機会を享受するといった基本的人権を剥奪し、結果、日本社会の経済的・社会的格差を益々拡げていく。日本社会でも今、困難な状況下にある子ども1人ひとりに寄り添い、将来的な貧困格差に歯止めを掛けることが切実に求められている。

大阪市西成・釜ヶ崎は、日本最大のドヤ(簡易宿泊所)街を有し、多くの日雇労働者、路上生活者が暮らす地としても知られる。釜ヶ崎の街を歩くと、「豊かな日本」にもこのような「経済的厳しさ」があることを痛感させられる。釜ヶ崎の一画に児童養育施設「こどもの里」がある。そこは、放課後の近所の子どもたちの遊び場以外に、家庭の事情で親と一緒に暮らせない子どもや障がいを持つ子どもたちを一時的に預かる場でもある。施設には、親に代わって幼い子どもたちの面倒を見る高校生や、同施設で育ち高校卒業後に就職し立派に自立し、自己実現に向けて歩み出す青年たちもいる。こうした子どもたちが、不遇感に打ち砕かれることなく、自分と他者を大切にして、前を向いてしっかりと歩みを進めることができるのは、彼らの存在を大切に想い、彼らの苦しみを共有する施設のおとなたちがいつも傍にいたからに違いない。

アフガニスタンであろうと、日本であろうと、そこに生きる子どもたちは安全に暮らし、自己実現に向かって生きていく権利がある。その権利を擁護し実現させていく社会をつくることは、我々おとなに課せられた責務である。

子どもたちが平和に暮らしていくために、おとなたちの果たすべき責任は大きい=ジョウズジャン州.JPG

子どもたちが平和に暮らしていくために、おとなたちの果たすべき責任は大きい

日本から遠く離れたアフガニスタン・バーミヤンの地で、そのような想いを胸にしつつ、本連載の筆をおきたい。(了)

?.厚生労働省、2009年http://www.mhlw.go.jp/houdou/2009/10/h1020-3.html

 

園田『解放教育』(明治図書)2011年3月号より


 


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