スマトラ沖地震現地レポート(2005.01.11)

【セーブ・ザ・チルドレン世界連盟事務局長ブルクハルトが被災地入り】
〜ブルクハルト(Burkhard)日記〜


【2005年1月4日火曜日】
空から見下ろすと、青い海、熱帯のビーチ、そして農園が広がっていました。美しく感動的な光景には、今回の劇的で悲惨な展開など似つかわしくありません。
タクシーの運転士は、3歳の子と生後8ヶ月の子を含む自分の家族合計6人が行方不明だと言っています。
津波が襲ってきたとき、彼はゴールのビーチへ向かう途中の渋滞に巻き込まれていたそうです。「バックミラー越しに、みんな波にのまれていく有り様が見えて、とっさに左折しようと思ったんだ」彼はそのとき乗せていた2人のオーストラリア人観光客の名前とともに彼らの誕生日を記したタクシーの乗車記録を、彼らを救った証拠として見せてくれました。

セーブ・ザ・チルドレンの事務所は多忙を極めています。セーブ・ザ・チルドレンの倉庫からプラスチック板やテント、浄水器具などが飛行機の積載量いっぱいまで取り出されています。連盟の皆が一丸となってこんなにも能率よく働いています。同僚が言うように、'口論している暇などない'のです。

【2005年1月5日水曜日】
7時にセーブ・ザ・チルドレンの運転手クリスティが、私を今回スリランカで最も被害を受けた地域のひとつであるゴールのビーチに連れて行くために、迎えに来てくれました。最初の数キロメートルは、いつもと同じコロンボの交通渋滞といった感じでしたが、海へと近づくと途端に景色が変りました。道路の両側が完全に破壊されているのです。

レンガとモルタルの家々が、瓦礫の山になっています。たまにベッドだとかキッチンのシンクだと識別できるものもあります。柱や壁などもそれとわかります。数件、比較的しっかりとした造りの家は倒壊を逃れていました。とはいえ海に面した壁とその反対側の壁が押し倒されており、津波の際に水が直撃し、水路となったことを物語っています。ずっと内陸側の家々も浸水しています。窓は粉々、屋根はところどころ崩れ落ち、調度品はただのガラクタになっているのです。

線路にも深刻な被害が及んでいました。路線の一部が野原にはみ出している状態です。レールは折れ曲がり、上を向き、橋は消えています。列車が軌道路線からはずれ、中にいた2000人の乗客が溺れました。この間まで毎週賑わいを見せていた市が跡形もなく消え、そこにいた500の商人たちとその客たちが命を落としました。この惨状を目の当たりにして、衝撃を受けているさなかに、ドイツ系テレビ局2局から、タイで行方不明になっているスウェーデンの男の子についてのインタビューを求める電話が入りました。

家を失い、修道院への避難を求めている3,000もの人々のデータを記録するという、大変な作業をなさっている仏教の修道僧と会話をしているとき、今度はイタリア人ジャーナリストから電話がかかってきました。
今日は、私は2つの異なる世界の間にいたような気がします。両者をなんとか繋げようと狭間で努力していました。津波で壊滅した現実の世界と、大被害のあとにやってきて、ヒーローや犠牲者を個別にクローズアップして、視聴者の気を惹くことが目的の、西側メディアの作り出す仮想現実と。

現実では、組織の協力と、セーブ・ザ・チルドレン事務所が被災者の情報を記録したり、もっとも緊急に必要なものを見極めたり、コンクリートを供給したりという、素晴しい働きをしているのを見てきました。津波で全てを失ったスリランカの人々への、タイムリーで適切な援助です。

【2005年1月6日木曜日】
ブルクハルト事務局長と被災者朝の8時15分に事務所に行ってみると、みんなはもう事務所で忙しく働いていました。セーブ・ザ・チルドレンのミニバスに、供給用食料をいっぱいに詰め込んだビニール袋を次々と載せていく作業をしていました。
今日は最初に、小さな避難所へ27袋分を届け、もう一ヶ所それよりも大きな避難所へ100袋分届けることになっています。ミニバスに積み込む作業は単純なので、私にもできそうです。各自が2袋ずつ食料入りの袋を運んで、車内のスタッフに手渡し、彼がシートや床に載せていく作業をします。倉庫へ戻り、2袋取ると、それらをまた車まで運ぶという作業の繰り返しです。昨日は250袋の供給用食料を車から降ろす人々の列の中に入って手伝いました。おかげでジムへ行かずとも鍛えられます。

ミニバスに積み込み終わった頃、トラックが到着し、数トン分の米と砂糖が届きました。1袋50キログラムもある袋を降ろす作業は、専門の人に任せました。このために我々は現地の人を4人雇いました。

災害の専門家が言うところの"食料投下"を臨時避難所として使用されている寺院で行います。しかし、"投下"という名前に反して、作業は慎重に行われます。家族らがきちんと列を作って並んでいます。彼らはそれぞれに紙を持っています。それにはその家族の名前に加え、彼らをその避難所で登録した際の識別番号が書かれています。我々はその紙と引き換えに、米とレンズ豆と麺とベビーフードとクッキーなどが詰まった袋2つを手渡すのです。
スリランカの僧侶たちが大変素晴しい記録係であることに、私は驚きました。整然となされた記録の中には、彼らの寺院で避難生活を送っている人々のことが仔細洩らさず書かれています。家族の名前、人数、性別、年齢、孤児かどうか、妊婦かどうか、津波で死亡した家族がいるか、行方不明の家族がいるかどうかなどです。緊急の措置が行き渡り、もっと個々のニーズに応えられるような段階になってくると、僧侶の記録の成果が発揮されることになるでしょう。

その段階には何が求められるのでしょうか?少しではありますが、私が今日まで見てきた中で感じたことは、食料と水の供給については足りているようだということです。更なる援助団体が現地入りすれば、数週間後には、セーブ・ザ・チルドレンとして食糧供給を行うことは、それほど優先することではなくなるでしょう。そうなると被災者がもっとも要求するのは、今度は調理器具や、特に子供のいる家族には蚊帳、そして、壊れた家を直すための材料となるでしょう。子供たちは玩具や本や勉強道具などを求めることでしょう。

午後3時過ぎに事務所に戻ると、地域の教育課のスタッフが来ていました。彼らは今日、供給用食料の袋詰め作業に追われていました。一人の仏教僧がクッキーの箱や栄養強化ミルクの箱を倉庫部屋から教育課長の使っていた部屋へ移動させています。セーブ・ザ・チルドレンのスタッフ一人がその箱を開いて中身を確認し、供給リストに登録します。そしてボランティアたちがそれらを箱から1〜2つずつ出しては、今日この後、様々な場所の家族らへと届けることになっている食料袋の中へ詰めています。

コロンボの話に戻りましょう。海岸道路はそのほとんどが水際を走っています。ということは、津波で海岸道路はほぼ壊滅状態にあるということです。けれども、時折、道路が小さな丘にさしかかって10〜15メートル上に登ると、そこだけがぽっかりと何事もなかったかのように綺麗なままの状態なのです。更に道を進んで丘のもう一方を下ると、また突然に悪夢のような光景へと戻ります。

被災した地域に住みながらも助かった人々は、自らの命以外の全てを失いました。家族や家、釣り船、ラジオにテレビ、あの日12月26日に着ていたもの以外の全ての衣服、思い出の写真やその他の大事な私的所有物、出生証明書、彼らが家の中にこっそり貯めたわずかの現金。大勢の人々、特に子供たちは、平静を失い、極度の精神的ショックを受けています。

仮設の屋根の下にたたずんでいる一家に出会いました。屋根は数本の木の柱に支えられており、壁の一枚は彼の家からのものだそうです。彼らはその壁を、自分たちに残されたありったけの物で飾っていました。時計と色彩鮮やかな仏陀の絵だけ、です。母親と4歳になる息子は共に津波による水で流されましたが、九死に一生を得たとのことです。彼女は瓦礫となった自宅の下から見つけたという写真を見せてくれました。そして、こう言いました。「夫よ」「死んだの」と。


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