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東欧
(公開日:2022.05.24)

【ウクライナ危機】紛争から3ヶ月:「どこで、どうやって暮らしていけばよいか分からなかった」−ルーマニアに避難した母親たちの話

 
ウクライナで紛争が起こってから3ヶ月が経ちました。爆弾や銃弾が自宅に降り注ぐなか、母親と子どもたちは友人や家族を残し、わずかな衣類をリュックサックにつめ、そして心に希望をいだきながら、故郷ウクライナからルーマニアに避難してきました。


イリナさんとニコリナさん

※写真は受賞歴のあるイギリス人写真家Lewis Khan氏により撮影されました。

安全を求めて、周辺国にはウクライナから630万人以上が避難し、その半数は子どもと考えられています。630万人を超える人のうち92万4,000人がルーマニアに避難し、第二次世界大戦以降ヨーロッパで最大の難民危機となっています。

キーウ出身のイリナさんは、外出禁止令が出るまでのわずか24時間の間に、10歳の娘ニコリナさんとともに、病気で移動できない母親を残して避難するかどうか決めなければなりませんでした。イリナさんは妊娠7ヶ月で、混雑から逃れるために、娘と一緒に列車の中にある使われなくなったトイレに身を寄せて移動しました。
「自分の子どもと生まれてくる子どものために、避難しなければならないと思いました。子どもたちには将来があるのですから。列車が止まる各駅では、とても怖かったです。激しい言い争いがあったので、停車駅ではドアに鍵をかけました。」

娘のニコリナさんは、「駅の近くに来たとき、たくさんの兵士がいて怖かったです。兵士は、立っていて、機関銃を持っている人もいれば、ライフルを持っている人もいました」と、話しています。


マリヤさんと4歳の息子

ドニプロ出身のマリヤさんは、故郷がミサイルの攻撃を受けた後、4歳の息子と避難することを決意しました。マリヤさんたちは、東部ドニプロから西に位置するルーマニアに向かう最初の列車に乗りました。
「人生で一番怖い日でした。どこで、どうやって暮らしていけばよいか分からなかったです。目的地もない移動でした。ここに来たこともなかったし、どこへ行くのかも分かりませんでした。でも、ここは良いところです。人々はとてもよくしてくれます。食事も十分にあり、暖かくて居心地がよく、とても感謝しています。」

セーブ・ザ・チルドレンとパートナー団体は、それぞれの家族に、ルーマニア北部で仮設住居の提供、現金やバウチャー支援、メンタルヘルス支援、法的アドバイスの提供といった支援を行っています。

セーブ・ザ・チルドレン・ルーマニアの事務局長ガブリエラ・アレクサンドレスクは次の通り訴えます。
「この凄惨な紛争が起こってから3ヶ月が経ちました。母親たちの話一つひとつが、数百万の家族が経験してきたことを強く連想させるものでした。母親たちは、子どもたちの安全を守るために、本来であれば誰もすべきではない選択をし、すべてを残して避難しなければなりませんでした。

ウクライナでの紛争は、わずか90日の間に、第二次世界大戦以降、最大の難民危機を引き起こし、300万人近い子どもを含む600万人以上がウクライナから避難しました。

それは、ほぼ毎秒1人の子どもが避難をしたことになり、一人ひとりの人生が永遠に変わったことを意味します。私たちは、すべての紛争当事者に対し、この苦しみと、残虐な紛争を終わらせ、ウクライナの人びとの失われた暮らしを元に戻すことを強く求めます。」

セーブ・ザ・チルドレンは、ウクライナ国内で、現地パートナー団体を通して、避難を余儀なくされた家族に仮設住居や食料、現金、燃料、精神保健・心理社会的支援、乳児用品キット、衛生用品キットを提供しています。また、私たちは2014年からウクライナ国内で活動しており、子どもたちやその家族の暮らしに必要不可欠な人道支援を行ってきています。

引き続き、ウクライナをはじめとする人道危機などから子どもたちの命と未来を守るためセーブ・ザ・チルドレンへのご支援をお願いいたします。

 

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