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子どもたちにとって最も過酷な一日
‐現地に派遣されているイギリス人スタッフからの報告

ガザ
(公開日:2025.04.04)

【パレスチナ・ガザ地区】
子どもたちにとって最も過酷な一日
‐現地に派遣されているイギリス人スタッフからの報告

 
3月18日、火曜日の夜中、空爆の轟音と鳴り響く救急車のサイレンで起こされた私は、イスラエル軍が再びガザ地区を地獄に陥れたとすぐに気づきました。恐怖に満ちた夜でしたが、その恐怖は16ヶ月に及ぶ攻撃の後、ガザ地区に暮らす子どもたちや家族にとっては、あまりにも身近なものでもありました。この夜だけで、174人の子どもたちが犠牲になったと報告されています。それ以来、状況は急速に悪化しています。攻撃は続き、ガザ地区は再び分断されました。イスラエル軍はあらゆることに制限を課し、ガザ地区南部から北部へのアクセスを遮断しています。北部にいる50人以上のセーブ・ザ・チルドレンの同僚は、戦車や銃弾に対峙しながらも北部に留まるか、失ったものを整理する間もなく再び家を出るかの選択を迫られています。

この暴力行為の再燃は、8週間の一時「停戦」の後で、希望を見いだし始めたばかりのガザ地区の家族にとって、壊滅的な後退でした。一時停戦に入り、多くの人々が住んでいた北部に戻り、自分たちの破壊された家や家財で何が残っているのか確認しているところでした。また、親たちが、栄養不良の子どもたちに治療を受けさせ、自分たちの健康にもようやく目を向け始めていた時でした。そして、ただ生き延びるだけでなく、失った愛する人を悲しむことを始めていた時でした。

私がガザ地区に到着したのは、1月19日に敵対行為が一時停止された直後のことでした。そのとき私は、さまざまな感情が渦巻くのを感じました。変化をもたらすかもしれないチャンスに感謝すると同時に、一時「停戦」がいつ崩れるかわからないという深い恐怖も感じていました。私は、自分自身に起こり得る最悪の事態も覚悟していました。ソーシャルメディアに溢れるガザの映像は恐ろしいものでしたが、ガザ地区の現実はよりひどいものだったと言えます。私がその場で目にしたものに対して、私は何の準備もできていませんでした。私が到着したとき、私たちが乗ったバスは瓦礫の海を走り抜けていました、何の建物もない、ただ果てしなく破壊された街並みが続いていました。

世界はどうしてこのような酷い仕打ちを許せるのでしょう?家族全員の命が消し去られる。子どもを埋葬する親たち、子どもが瓦礫に埋もれたままで助けることすらできない親たち。犠牲になる援助関係者たち。破壊された病院や学校。麻酔や薬、包帯など、ごく基本的な医療品さえない中で負傷者の治療を強いられる医療従事者たち。


破壊されたガザ地区北部の街並み2025年2月10日撮影

この16ヶ月間の新聞の見出しを見る限り、自国の政府でもあるイギリス政府は、他の西側諸国の指導者たちとともに、この苦しみに加担し、傍観していたことを示しています。私は、政治がこれほど冷淡で、人の命に無関心だとは知りませんでした。

私の心に最も引っかかっているのは、子どもたちのことです。ガザ地区の子どもたちには、靴もコートもなく、厳しい天候から身を守るものは何もありません。それにもかかわらず、彼らには奇妙と思えるほどの回復力があります。笑い、遊び、瓦礫の中を裸足で走りまわっています。もしかしたら、子どもたちは、悪夢の中で生きる術を見つけたのかもしれない、と私は自分を納得させようとしています。

この6週間、私はセーブ・ザ・チルドレンが支援する家族と話をしてきました。悲痛な話を聞き続けました。どの家族も避難を余儀なくされ、中には20回も避難を繰り返した家族もいました。全員が食料不足に直面し、絶え間ない飢餓のため、体重が15キロも減ってしまった人もいました。生きるために家畜のえさを食べざるを得ない人もいました。子どもたちは、いくつもの死を目の当たりにし、愛する人を失ったトラウマから、尿失禁に悩まされたり、悪夢にうなされ泣き叫んだりしています。人々は、かつて所有していたものすべてを失ったのです。

ガザ地区はもう元には戻らないと絶望を感じている人もいます。ある母親は、「この破壊された町を見てください。再建なんてできるわけがないでしょう」と言っていました。一方、楽観主義を貫き、強く生きる人たちもいます。ある男性は、「希望を持たずに何が人生だ」と言います。そして、もう一人の母親も、私にこう言います。「私たちはガザ地区を再建する。私たちの子どもたちが、これまで以上にガザ地区を良くしてくれるでしょう」と。

セーブ・ザ・チルドレンの教育プログラムを通じて支援された2人の姉妹に会ったとき、私はこの母親の言葉を確信しました。周囲が崩壊していく中で、彼女たちは未だ夢を抱いていました。彼女たちの笑顔は希望を放ち、目を輝かせて自分たちの抱負を語っていました。数日後、私は同じプログラムに参加する9歳の少女に会いました。彼女の頭蓋骨は爆発による破片で重症を負い、露出した脳が見える頭部に、包帯が巻かれているだけでした。

彼女の両親は、ガザ地区では決して受けられない治療を受けさせるため、彼女をガザの外に避難させようと必死でした。当初、医師たちは彼女が助かる可能性は低く、仮に助かったとしても麻痺して言葉も話せなくなるだろうと告げていました。それにもかかわらず、彼女が私の目の前で歩き、驚くべき知性を発揮し、自信を持って話すというのは、ほとんど信じられないことでした。ガザ地区を再建する方法を他の人々に教えるために、彼女は教師になりたいと語っていました。

この少女たちは、何千人もの子どもたちとその家族と同様に、設備の全く整っていないテントで、生きるための最低限のものだけを与えられ暮らしています。今月に入り、ガザ地区への人道支援は完全に停止し、かれらのような家族は再び瀬戸際に追いやられています。紛争が再開されれば、ガザ地区の子どもたちに死刑が宣告されます。

停戦は、子どもたちをこれ以上の肉体的・精神的苦痛から守る唯一の手段です。「私は死なないと約束して」と、親の目を見つめ懇願するような子どもは、いてはなりません。破壊された瓦礫の中を、愛する人の無残な遺体を必死で探さなければならない子どもも、いてはなりません。子どもたちが世界から見放されたと感じ、自分の人生には何の価値もないと思い込むようなことがあってはならないのです。

私は数え切れないほどの家族に、できることなら世界にどんなメッセージを送りたいかと尋ねてきました。その答えは、ただ「生きたい」というものでした。これは単純に助けを求めているということだけではなく、最も基本的な人権、つまり恐怖を感じることなく生きる権利の嘆願なのです。


報告者:シャイマ・アル・オバイディ---セーブ・ザ・チルドレンUKのシニア・メディア・マネージャーで、紛争の影響を受ける子どもたちに関する報道を専門としている。過去にアフガニスタン、ソマリア、南スーダンに派遣された経験を持ち、現在はガザ地区に派遣されている。

翻訳:セーブ・ザ・チルドレン・ジャパン海外事業部 金子由佳

 

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