ネパール(公開日:2014.05.13)
ネパールの公教育:住民参加それとも住民負担?(2014.05.13)
2012年からネパールにおいて、日本政府の「コミュニティ開発支援無償」を通して基礎教育プロジェクトを実施しています。このプロジェクトでは、ネパールの8つの郡において、教室建設による学校環境整備、学校運営委員会の組織強化、教員研修といった様々な活動を組み合わせ、対象学校の学習環境全体の改善を目指しています。
活動の一つである「教室の建設による学校環境整備」が今年のはじめにいよいよ開始しましたので、今回は教室建設を通してネパールの公教育のあり方を考えてみたいと思います。
ネパールと日本の両政府が活動計画を立てていたプロジェクトの準備期間中、日本の援助関係者の一部は、ネパールではたとえ公立学校であっても、教室建設は政府ではなく、地域 コミュニティが行うということに驚かされました。日本はこれまでアジア・アフリカ諸国を中心に多数の国で教室建設事業を実施してきましたが、通常は日本の建設業者あるいは現地の建設業者が政府と契約を締結し、委託業者が責任を持って学校の教室建設を実施する、というやり方です。しかし今回のプロジェクトでは、ネパールの方式にのっとり、まず資機材を日本の支援で提供し、建設に要するコストの一部をネパール政府が拠出、コミュニティが自ら業者を探してきたうえで他に必要なコストも自ら確保し建設する、というやり方を採用しています。
約60年前に公教育制度が開始されてからは政府が資金を出すようになりましたが、もともとネパールではコミュニティが自ら資金を集め、自分たちで建設資機材を調達し、労働力を提供し、熟練労働者を手配して、教室が建てられてきました。政府は年間、全国で数百教室を建設するための予算を拠出していますが、政府の資金支援が足りず、今でもコミュニティが自ら資金調達をして教室を建て始めるケースも多々あります。
<写真1:東部テライ地方のマホタリ郡のある学校ではコミュニティで資金調達をして自ら教室建設を始めましたが途中で資金が足りなくなり、屋根のない、未完の教室があります>
政府はネパールの特殊な地理的条件を鑑み、インド国境地帯の亜熱帯気候低地用、ヒマラヤ山脈麓の数千メートル高地用、その間の丘陵地用の3種類の標準設計を持っています。またコミュニティが自ら建設できるように、工法、建材ともにネパールで一般的に使用されるものを活用できるような設計になっています。
今回のプロジェクトでは、日本政府がコンクリートやレンガ等の資機材を提供し、ネパール政府が熟練労働者雇用費等の一部を拠出し、不足分はコミュニティが自ら資金集めをして教室を建てる、ということになっています。コミュニティの資金集めには、村落開発委員会(VDC)という行政組織から補助金を受け取ってくるケース、地元の篤志家からの寄付、あるいは住民が少しずつお金を出し合う、といった様々な形態があります。
<写真2:日本政府の資機材提供とネパール政府の補助金により建設が始まった教室、ナワルパラシ郡>
いずれにしても、政府が全面的に公教育の面倒をみる、という認識からはほど遠い形態です。これも、ネパールが複雑な地理的条件に置かれ、特に山岳地帯はアクセスが難しく、中央政府に依存せずに自分たちで子どもたちへの教育を確保しなければならない、という特に高カースト層の考え方がそもそも根柢にあるのではないか、と考えられています。一方で、特に過去15年ほど、ネパール政府は世銀を中心とした国際機関の支援を受けるなかで、地方分権化を推進していますので、各コミュニティが教室建設、学校運営に責任を持つべき、という意識が定着してきた、という経緯もあります。
<写真3:マホタリ郡で郡政府の予算で最近建てられた教室。ほぼ完成しているが机も椅子もない教室>
就学率を上げるためには教育を無償化する必要があることは認識されており、ネパールでは今ではすべての子どもが無料で教科書を受け取ることになっています。しかし、特に農村部では、家畜の世話や幼い弟や妹の面倒を見るために毎日学校に行けない子どもも多数います。制服や文房具は自己負担になっており、同じ学校内に制服を着ている生徒もいれば、制服でない子どももいます。「学費」という形での費用の徴収はないかもしれませんが、学校へ行くためには様々な形でコストがかかります。
確かに、仮に住民負担制度がなかったとしたら、ネパールの公教育は今のように普及しなかったことでしょう。他の低所得国の公教育の歴史、経験を振り返ると、就学率を向上させるため、政府が費用を全面的に負担したあと、財政的に継続できなくなり、学費徴収をやむを得ず再導入した、といったケースもあります。費用を一部自己負担したほうが、オーナーシップが高まる、という考え方もあるかもしれません。しかし、教育は基本的権利の一つである以上、政府や国際社会がすべての子どもに教育の機会を確保する義務があります。
NGOとして我々が果たすべきことについて、学校に足を運ぶたびに考えさせられます。
(報告:ネパール駐在員 塩畑真里子)
活動の一つである「教室の建設による学校環境整備」が今年のはじめにいよいよ開始しましたので、今回は教室建設を通してネパールの公教育のあり方を考えてみたいと思います。
ネパールと日本の両政府が活動計画を立てていたプロジェクトの準備期間中、日本の援助関係者の一部は、ネパールではたとえ公立学校であっても、教室建設は政府ではなく、地域 コミュニティが行うということに驚かされました。日本はこれまでアジア・アフリカ諸国を中心に多数の国で教室建設事業を実施してきましたが、通常は日本の建設業者あるいは現地の建設業者が政府と契約を締結し、委託業者が責任を持って学校の教室建設を実施する、というやり方です。しかし今回のプロジェクトでは、ネパールの方式にのっとり、まず資機材を日本の支援で提供し、建設に要するコストの一部をネパール政府が拠出、コミュニティが自ら業者を探してきたうえで他に必要なコストも自ら確保し建設する、というやり方を採用しています。
約60年前に公教育制度が開始されてからは政府が資金を出すようになりましたが、もともとネパールではコミュニティが自ら資金を集め、自分たちで建設資機材を調達し、労働力を提供し、熟練労働者を手配して、教室が建てられてきました。政府は年間、全国で数百教室を建設するための予算を拠出していますが、政府の資金支援が足りず、今でもコミュニティが自ら資金調達をして教室を建て始めるケースも多々あります。
<写真1:東部テライ地方のマホタリ郡のある学校ではコミュニティで資金調達をして自ら教室建設を始めましたが途中で資金が足りなくなり、屋根のない、未完の教室があります>
政府はネパールの特殊な地理的条件を鑑み、インド国境地帯の亜熱帯気候低地用、ヒマラヤ山脈麓の数千メートル高地用、その間の丘陵地用の3種類の標準設計を持っています。またコミュニティが自ら建設できるように、工法、建材ともにネパールで一般的に使用されるものを活用できるような設計になっています。
今回のプロジェクトでは、日本政府がコンクリートやレンガ等の資機材を提供し、ネパール政府が熟練労働者雇用費等の一部を拠出し、不足分はコミュニティが自ら資金集めをして教室を建てる、ということになっています。コミュニティの資金集めには、村落開発委員会(VDC)という行政組織から補助金を受け取ってくるケース、地元の篤志家からの寄付、あるいは住民が少しずつお金を出し合う、といった様々な形態があります。
<写真2:日本政府の資機材提供とネパール政府の補助金により建設が始まった教室、ナワルパラシ郡>
いずれにしても、政府が全面的に公教育の面倒をみる、という認識からはほど遠い形態です。これも、ネパールが複雑な地理的条件に置かれ、特に山岳地帯はアクセスが難しく、中央政府に依存せずに自分たちで子どもたちへの教育を確保しなければならない、という特に高カースト層の考え方がそもそも根柢にあるのではないか、と考えられています。一方で、特に過去15年ほど、ネパール政府は世銀を中心とした国際機関の支援を受けるなかで、地方分権化を推進していますので、各コミュニティが教室建設、学校運営に責任を持つべき、という意識が定着してきた、という経緯もあります。
<写真3:マホタリ郡で郡政府の予算で最近建てられた教室。ほぼ完成しているが机も椅子もない教室>
就学率を上げるためには教育を無償化する必要があることは認識されており、ネパールでは今ではすべての子どもが無料で教科書を受け取ることになっています。しかし、特に農村部では、家畜の世話や幼い弟や妹の面倒を見るために毎日学校に行けない子どもも多数います。制服や文房具は自己負担になっており、同じ学校内に制服を着ている生徒もいれば、制服でない子どももいます。「学費」という形での費用の徴収はないかもしれませんが、学校へ行くためには様々な形でコストがかかります。
確かに、仮に住民負担制度がなかったとしたら、ネパールの公教育は今のように普及しなかったことでしょう。他の低所得国の公教育の歴史、経験を振り返ると、就学率を向上させるため、政府が費用を全面的に負担したあと、財政的に継続できなくなり、学費徴収をやむを得ず再導入した、といったケースもあります。費用を一部自己負担したほうが、オーナーシップが高まる、という考え方もあるかもしれません。しかし、教育は基本的権利の一つである以上、政府や国際社会がすべての子どもに教育の機会を確保する義務があります。
NGOとして我々が果たすべきことについて、学校に足を運ぶたびに考えさせられます。
(報告:ネパール駐在員 塩畑真里子)