日本/東日本大震災/防災(災害リスク軽減)(公開日:2015.04.17)
セーブ・ザ・チルドレンの防災担当職員が東松島市・石巻市を訪問(2015.04.17)
第3回国連防災世界会議に参加するために来日した各国のセーブ・ザ・チルドレンの防災担当の職員のうち6名(韓国、フィリピン、モザンビーク、モンゴル)が、会議に先立って宮城県東松島市・石巻市を訪れ、東日本大震災を経験した人たちから震災の教訓を学びました。
◼︎東松島市野蒜地区◼︎
海に近い野蒜地区は、大きな被害を受けました。今も旧野蒜駅は震災当時のままで、野蒜小学校の子どもたちは移転した仮設校舎へ通っています。旧野蒜駅横のコンビニエンスストアがある建物の壁には津波の到達地点を示す看板が取り付けられ、中には被害状況を伝える写真が掲示されています。セーブ・ザ・チルドレンの防災担当職員は、津波の高さに驚きながら看板の写真を撮り、近くにあった旧鳴瀬第二中学校で勤務中に被災した木村先生(現在は、鳴瀬未来中学校防災主幹教諭) からの話を真剣に聞いていました。
◼︎大曲市民センター ◼︎
大曲地区にある市民センターにも津波が来ました。館内には、震災前・震災後の同地区の写真が掲示され、津波による被害の状況がよく分かります。芳賀事務長もセンターで勤務中に被災しました。津波が入って来ないように入り口の扉を閉めていましたが、ガラスの扉は流れて来た大きな木が当たって壊れてしまいました。あっというまに大量の水が、避難して来た人たちがいたホールに流れ込んできました。ステージの上にテーブルを2段積み上げて、その上に一晩中立って過ごしたそうです。
そして、東松島市が制作したDVD「東松島市からのメッセージ〜震災を語り継ぎ未来を創造するために〜」 を見ました。DVDは、日本語版に加えて英語版も作られており、海外の防災担当者から「自分の国でみんなに見せたいから、ぜひ欲しい」というリクエストがありました。
◼︎石巻市子どもセンター 「らいつ」◼︎
東松島市を後にして、石巻市の日和山公園の上から市内を一望し、セーブ・ザ・チルドレン・ジャパンが設立に協力した石巻市子どもセンターで施設を見学しました。
◼︎学校再開までの道のり◼︎
石巻市子どもセンターで、木村先生から震災直後から学校が再開するまで先生や生徒たちがどのように過ごしていたか、お話を聞きました。
「学校で被災した生徒8名を含む26名が北校舎2階で過ごした3月11日の夜、翌日水につかりながら野蒜小学校へ移動、避難所を回って生徒の安否確認、避難所運営への協力、生徒の心のケア、学校機能の回復など、忙しい日々を過ごしました。3月28日に何とか終了式を済ませ、4月1日から学校再開に向けて準備し、4月21日に始業式、4月22日に入学式を行いました。辛い思いをした生徒たちのために、普通の学校生活を取り戻すことが大切だと思い、さまざまな学校行事をしました。特に印象的だったのが「地域復興祈念親子大運動会」(8月27日)です。生徒たち、先生たち、地域の人たち、ボランティアの人たち、さまざまな人の熱意と協力で、思い出深いそして感動的な運動会となりました」
学校は避難所として使われるため、東日本大震災では授業を再開するのに何カ月もかかった学校や、校庭に仮設住宅が建てられているため体育や部活動に支障が出ている学校がいまだにあります。しかし、子どもたちにとって学校へ行って、勉強して、友達と遊ぶという日常を取り戻すことが、大きなショックから立ち直るためにとても大事です。セーブ・ザ・チルドレンは、災害時に学校が中断しない、早く再開できるための計画を立てておくことを勧めています。
石巻市から仙台市へ帰るバスの中で、セーブ・ザ・チルドレンの防災担当職員から感想を聞きました。
「地域や学校で実際に震災を経験した方と会え、話を聞けたことはとても勉強にもなり、今日の視察で学んだことは必ず自分の国へ持ち帰って伝えなければいけないと思った」(韓国)
「学校や地域で震災のことをきちんと記録に残していることに感心した。自分の国ではなかなかできないことだ」(モザンビーク)
「日本は災害に対する準備がしっかりとできているのに、震災の教訓からさらに学ぼうとしているとことがすごい」(フィリピン)
「セーブ・ザ・チルドレン・ジャパンが行っている子ども参加型の取り組みはすばらしい」
(モンゴル)
今回の被災地訪問では、東松島市や石巻市の方々に、震災当時の経験の共有していただくなどのご協力をいただきました。このような方々のご支援のおかげで、私たちの活動が可能となっています。セーブ・ザ・チルドレン・ジャパンは、災害があったとしても子どもたちが安心・安全に学校生活を送れるように活動を続けていきます。応援よろしくお願いいたします。
(報告:東京事務所 太田まさこ、仙台事務所 菅原絵美)