ガザ(公開日:2015.08.26)
【ガザ紛争から一年】ミサイル着弾までの10分間
一年前のガザ紛争では民間人が居住する家屋も空爆の対象とされ、それによって、子どもや女性、高齢者や障害者などを含む、多くの民間人が死傷しました。セーブ・ザ・チルドレン・ガザ事務所職員の一人、ワリード・モーサは、ちょうど一年前、停戦合意の前日に、イスラエルからの空爆によってガザ市にある自宅を失いました。ワリードと彼の家族は幸運にも直前に空爆開始の警告(*)を受け、ミサイルの着弾前に家屋から無事に脱出することができました。ワリードが一年前を振り返り、その時の様子を語ってくれました。
*空爆の直前には、電話やチラシ、爆発力の低い警告弾などで、イスラエルから居住者への警告がなされているケースがありました。(なお、警告がなかったケースもあったと報道されています)
空爆によりガザ市内の自宅を失ったガザ事務所の職員ワリード・モーサ
*空爆の直前には、電話やチラシ、爆発力の低い警告弾などで、イスラエルから居住者への警告がなされているケースがありました。(なお、警告がなかったケースもあったと報道されています)
空爆によりガザ市内の自宅を失ったガザ事務所の職員ワリード・モーサ
8月下旬の暑い夜、午後10時30分。
2,200人以上の人々が犠牲になった7週間以上に渡る爆撃に耐え抜き、私は家族と一緒に我が家にいました。その時、電話が鳴りました。
「10分後に空爆がある。」
つまり、緊急避難するようにとの警告でした。生活が根底から覆されようとしている事態を理解し、家族を避難させるのに与えられた時間は、たったの10分でした。・・・それでも、これは“幸運な”数百のパレスチナ人家族のみに与えられた空爆の事前警告、(10分間の)避難する猶予です。
家が破壊されるまでの10分間のことは、忘れようと努力してきました。でも、どうしたら記憶から消し去ることができるでしょうか?
電話を取った時、私の脳内には幾多の思いが駆け巡りました・・・「本当にそんなことがあるのか?これが人生最後の10分間になってしまうのか?我が家で?子どもたちの人生はどうなる?10分を待たずに空爆されたらどうする?退去するまで10分あるなんて誰が保証するのか?そもそも10分以内にこれまでの生活と思い出を整理して逃げるなんてできる訳がない。」
そんなことを考えていると、はっと時間がないことに気付き、家族をリビングルームに集めました。皆、起こっていることが本当なのか理解できないまま、これまで愛情を注ぎ込み、やっとの思いで改修したばかりの我が家を見渡していました。しかし、完全にパニックになっている妻の表情を見て、こんなことをしている時間がないことを改めて思い出しました。
「早く子どもたちを下の階へ!」
4人の子どもたちは「何が起きてるの?なんでパパは残るの?」と泣き叫び始めました。可愛く無邪気な子どもたちに、どう説明できるでしょうか?しかしながら、多くの場合、子どもたちは目の前の現実を我々以上に理解していることを思い出し、勇気を奮い立たせて言いました。「パパを待たないで下の階へ行って。そこで会おう。パパは必要な書類と、身分証明書とパソコンを取って来るから。」息子のヒシャムが、自分の手提げ鞄も取って来てくれるよう頼んだので、私はうなずきました。
妻と私は死に物狂いで貴重品をかき集めました。その間、携帯電話は鳴りやまず、それがますます私を苛立たせました。これらの電話が私たち家族の安否を案じたり、避難するように知らせようとする、友人や隣人からであることは分っていました。その頃には、私たちが暮らすマンションが空爆されることは、テレビで報道されていたのです。
残り時間4分。
妊娠6カ月の妻と私は階段を駆け降りました。ロビーに着いて、必死に子どもたちを捜しましたが、どこにも見当たりません。妻が子どもたちの名前を叫んでいる時、私は階上に戻って彼らを捜すことを覚悟していました。もう2分しかありませんでした。その時、幸いにもマンションの入口で私たちを待っている子どもたちの姿を見つけることができました。
周りの光景は、ホラー映画のワンシーンのようで、信じ難いものでした。何百人もの子どもたち、家族が、泣き叫んでいるのです。「ママはどこ?」「娘を見かけませんでしたか?」「夫を見かけていませんか?」 これら全てはただの悪夢ではないかというような考えが浮かんできましたが、事実を否定している余裕がないことをすぐに思い出しました。私は、一次的な避難先となる近くの病院に家族を連れて行けるよう、急いで車を地下から出しました。その瞬間、ミサイルが落下してくるのを目にしました。私たち家族の夢が破壊され、我が家と思い出が葬り去られようとするのをこの目で見たのです。
目の前で繰り広げられる破壊を目の当たりにしながら、娘が私の方を見て言いました。「パパ、私ね、おもちゃの入った箱を持ってこられなかったの。頑張ったんだけど、重くて運べなかったの。」 何と答えるべきでしょうか?「心配いらないよ。今度、もっと大きくて素敵な新しいおもちゃを買ってあげるから。」私が子どもたちに教え続けること・・・それは決してあきらめないこと。ガザの住民であるということは、生き続ける方法を学ぶということ。破壊によって思い出や記憶が完全に葬り去られることはなく、それらは私たちと一緒に永遠に生き続けるのです。
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2014年7月7日、ガザから発射されるロケット弾への対応として、イスラエルは軍事作戦を開始。同年7月18日には、ガザの過激派が軍事活動に利用していると言われる地下トンネルを破壊することを公の目的に掲げ、ガザへの地上侵攻が開始されました。これによって住民が密集する都市部において戦闘が行われ、砲撃、空爆、激しい戦闘によって、大量の避難民、死亡者、負傷者が生じ、ガザからの継続的なロケット弾の発射により、イスラエル側の住居や工場などの民間インフラにも被害がありました。2014年8月5日、イスラエルの軍隊は国境まで撤退。8月26日には双方によって停戦が受け入れられ、現在に至っています。
しかしながら、ガザでは依然として住居がない人が10万人おり、現在も続いているガザの封鎖や人道支援/資金の中断や不達により復興は著しく遅れていて、人道的状況は深刻です。
セーブ・ザ・チルドレン、セーブ・ザ・チルドレン・ジャパンのガザ地区での支援活動
セーブ・ザ・チルドレンは、30年以上にわたり、ガザを含むパレスチナ全土で活動を続けてきました。ガザにおいては、緊急人道支援に加え、子どもやその家族への長期的な支援活動を実施している最も大きな国際NGOのひとつです。昨年のガザ紛争の勃発から今日までに、食糧、医薬品、新生児キット、水の配給、医療やカウンセリングサービスの提供、訓練されたボランティアのカウンセラーによる24時間ヘルプラインの運営支援などを通じ、145,945人の子どもたちに支援を届けてきました。また、子どもの保護や健康におけるリスクの低減、地域社会による緊急事態や災害への備えや対応の改善など、子ども自身の心理社会的な側面を含め、地域社会や子どもたちのレジリエンス(立ち直る力、回復力、復元力、弾力)の強化を目的とした活動も行っています。
セーブ・ザ・チルドレン・ジャパンは、日本人現地駐在員を派遣して、今年4月よりガザの子どもたちの保護・教育支援事業を実施しています。この事業を通じて、子どもたちにとって安心・安全な教育環境の整備を行うとともに、子どもたちへの心理社会的サポートを地域ぐるみで行うことで、子どもたちや地域の人々が自らの力で困難を克服する力を育みます。
2,200人以上の人々が犠牲になった7週間以上に渡る爆撃に耐え抜き、私は家族と一緒に我が家にいました。その時、電話が鳴りました。
「10分後に空爆がある。」
つまり、緊急避難するようにとの警告でした。生活が根底から覆されようとしている事態を理解し、家族を避難させるのに与えられた時間は、たったの10分でした。・・・それでも、これは“幸運な”数百のパレスチナ人家族のみに与えられた空爆の事前警告、(10分間の)避難する猶予です。
家が破壊されるまでの10分間のことは、忘れようと努力してきました。でも、どうしたら記憶から消し去ることができるでしょうか?
電話を取った時、私の脳内には幾多の思いが駆け巡りました・・・「本当にそんなことがあるのか?これが人生最後の10分間になってしまうのか?我が家で?子どもたちの人生はどうなる?10分を待たずに空爆されたらどうする?退去するまで10分あるなんて誰が保証するのか?そもそも10分以内にこれまでの生活と思い出を整理して逃げるなんてできる訳がない。」
そんなことを考えていると、はっと時間がないことに気付き、家族をリビングルームに集めました。皆、起こっていることが本当なのか理解できないまま、これまで愛情を注ぎ込み、やっとの思いで改修したばかりの我が家を見渡していました。しかし、完全にパニックになっている妻の表情を見て、こんなことをしている時間がないことを改めて思い出しました。
「早く子どもたちを下の階へ!」
4人の子どもたちは「何が起きてるの?なんでパパは残るの?」と泣き叫び始めました。可愛く無邪気な子どもたちに、どう説明できるでしょうか?しかしながら、多くの場合、子どもたちは目の前の現実を我々以上に理解していることを思い出し、勇気を奮い立たせて言いました。「パパを待たないで下の階へ行って。そこで会おう。パパは必要な書類と、身分証明書とパソコンを取って来るから。」息子のヒシャムが、自分の手提げ鞄も取って来てくれるよう頼んだので、私はうなずきました。
妻と私は死に物狂いで貴重品をかき集めました。その間、携帯電話は鳴りやまず、それがますます私を苛立たせました。これらの電話が私たち家族の安否を案じたり、避難するように知らせようとする、友人や隣人からであることは分っていました。その頃には、私たちが暮らすマンションが空爆されることは、テレビで報道されていたのです。
残り時間4分。
妊娠6カ月の妻と私は階段を駆け降りました。ロビーに着いて、必死に子どもたちを捜しましたが、どこにも見当たりません。妻が子どもたちの名前を叫んでいる時、私は階上に戻って彼らを捜すことを覚悟していました。もう2分しかありませんでした。その時、幸いにもマンションの入口で私たちを待っている子どもたちの姿を見つけることができました。
周りの光景は、ホラー映画のワンシーンのようで、信じ難いものでした。何百人もの子どもたち、家族が、泣き叫んでいるのです。「ママはどこ?」「娘を見かけませんでしたか?」「夫を見かけていませんか?」 これら全てはただの悪夢ではないかというような考えが浮かんできましたが、事実を否定している余裕がないことをすぐに思い出しました。私は、一次的な避難先となる近くの病院に家族を連れて行けるよう、急いで車を地下から出しました。その瞬間、ミサイルが落下してくるのを目にしました。私たち家族の夢が破壊され、我が家と思い出が葬り去られようとするのをこの目で見たのです。
目の前で繰り広げられる破壊を目の当たりにしながら、娘が私の方を見て言いました。「パパ、私ね、おもちゃの入った箱を持ってこられなかったの。頑張ったんだけど、重くて運べなかったの。」 何と答えるべきでしょうか?「心配いらないよ。今度、もっと大きくて素敵な新しいおもちゃを買ってあげるから。」私が子どもたちに教え続けること・・・それは決してあきらめないこと。ガザの住民であるということは、生き続ける方法を学ぶということ。破壊によって思い出や記憶が完全に葬り去られることはなく、それらは私たちと一緒に永遠に生き続けるのです。
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2014年7月7日、ガザから発射されるロケット弾への対応として、イスラエルは軍事作戦を開始。同年7月18日には、ガザの過激派が軍事活動に利用していると言われる地下トンネルを破壊することを公の目的に掲げ、ガザへの地上侵攻が開始されました。これによって住民が密集する都市部において戦闘が行われ、砲撃、空爆、激しい戦闘によって、大量の避難民、死亡者、負傷者が生じ、ガザからの継続的なロケット弾の発射により、イスラエル側の住居や工場などの民間インフラにも被害がありました。2014年8月5日、イスラエルの軍隊は国境まで撤退。8月26日には双方によって停戦が受け入れられ、現在に至っています。
しかしながら、ガザでは依然として住居がない人が10万人おり、現在も続いているガザの封鎖や人道支援/資金の中断や不達により復興は著しく遅れていて、人道的状況は深刻です。
セーブ・ザ・チルドレン、セーブ・ザ・チルドレン・ジャパンのガザ地区での支援活動
セーブ・ザ・チルドレンは、30年以上にわたり、ガザを含むパレスチナ全土で活動を続けてきました。ガザにおいては、緊急人道支援に加え、子どもやその家族への長期的な支援活動を実施している最も大きな国際NGOのひとつです。昨年のガザ紛争の勃発から今日までに、食糧、医薬品、新生児キット、水の配給、医療やカウンセリングサービスの提供、訓練されたボランティアのカウンセラーによる24時間ヘルプラインの運営支援などを通じ、145,945人の子どもたちに支援を届けてきました。また、子どもの保護や健康におけるリスクの低減、地域社会による緊急事態や災害への備えや対応の改善など、子ども自身の心理社会的な側面を含め、地域社会や子どもたちのレジリエンス(立ち直る力、回復力、復元力、弾力)の強化を目的とした活動も行っています。
セーブ・ザ・チルドレン・ジャパンは、日本人現地駐在員を派遣して、今年4月よりガザの子どもたちの保護・教育支援事業を実施しています。この事業を通じて、子どもたちにとって安心・安全な教育環境の整備を行うとともに、子どもたちへの心理社会的サポートを地域ぐるみで行うことで、子どもたちや地域の人々が自らの力で困難を克服する力を育みます。