アフガニスタン(公開日:2010.08.02)
「アフガンに生きる子どもたち」 第五回
ファティマは家族が誇り
家族を誇るファティマ。前を向いて生きる 2010年撮影
アフガニスタンは子どもも働く。山岳農村地バーミヤンのバザールを歩けば、自動車修理工や鍛冶屋、露店主としておとなたちに混じって立派に働く少年の姿を頻繁に見かける。学校をやめて家で絨毯を織ったり手工芸品を作って家計を支える少女たちもいる。働くこと、家族を支えることは、子どもたちの大事な日課なのだ。商売に限らず、野良仕事や水汲み、家畜の世話、弟妹の面倒、炊事に洗濯と、子どもたちの日課は多岐に亘る。バーミヤンの冬は氷点下まで冷え込むが、そんな中でも少女たちは川で食器洗いや洗濯、水汲みをこなす。紛争時の地雷が未だに埋まっているかもしれない山岳地まで、燃料となる薪や畜糞を拾い集めに行く少年たちもいる。アフガンで生きるために、そして家族のために、子どもたちは働いているのだ。
薪や干し草集めは子どもたちの仕事
そんな子どもたちの表情には共通項がある。カメラを向けると、はにかみながらも透き通った瞳で笑顔を見せてくれる。それと同時に、ふとした瞬間におとなびた表情を見せる子が多い。きっと、家族を支えているという内なる自信と誇りが、子どもたちの表情に写し出されているからだと思う。
「家族のためだから働くことはイヤじゃないよ」当時8歳だった少女ファティマがさらりと言った。彼女はバーミヤン大仏遺跡のそばにある岩窟で家族と暮らす。2001年、戦火に見舞われたダイクンディ州の住居を追われ、彼女の家族は隣接するバーミヤン州に移ってきた。彼女は児童福祉施設の授業に通う傍から、早朝には洞窟の掃きそうじや朝食の支度、施設から戻ると、幼い妹たちの面倒をみたり、ロバを連れて隣村まで水汲みに出かけた。近くの川で食器洗いや洗濯、通りに出ては燃料となるロバや牛の糞を拾い集めていた。
今年、12歳になったファティマと再会。最近の暮らしについて聞いてみると「以前と何にも変わっていないよ」と彼女は答えた。それでも「ダリ語の読み書きが結構できるようになった。先生やお父さんが教えてくれたから」と嬉しそうに話してくれた。ファティマは以前とは別の施設学校の五年生のクラスに通いながら、現在も帰宅すれば家事や家畜の世話、七人の幼い弟妹たちの面倒をみている。
ファティマはいう。「今は学校にも通えてとっても嬉しい。ダリ語も算数もどの授業も楽しい。先生も優しいの。こうやって学校に通えるのは、お父さんやお母さんのおかげ。弟や妹たちも将来、学校に通えるようにしてあげたいわ」
将来は助産師になって新しい命を助けるお手伝いをしたい、と夢も語ってくれた。
家族を誇り、弟妹たちを想い、彼女はしっかりと前を向いて生きている。
アフガンに生きる子どもたちから教わることは多い。貧しくても家族を想い、ひとを思い遣る心の豊かさを持つファティマのような子どもたちに接すると、いつも思う。紛争を経験した子どもたちだからこそ、平和の尊さを誰よりもいちばんよく知っているのだろう、と。
しかし、日本の子どもたちも見捨てたものではない。アフガンに生きる同世代の子どもたちの暮らしを知ると反応は鋭い。福島県立A高校でアフガンの子どもたちについて講演をしたが、後日、生徒たちからこんな感想文が届いた。
「逆境にもめげずに全力で生きている姿に感動した。日本の10代とは、精神的にも大きな違いのある子どもたちに頑張ってほしいし、協力したいと思った」
また、ある1年生は「自分の考えの変化」と題して、こんなメッセージを寄せてくれた。
「今まで世界のことを意識して考えたことはなかった。〈中略〉学校の講演会でアフガニスタンの子どもたちの写真を見た。子どもたちは笑顔だった。貧しい中で、みんな笑顔で夢を持っていた。そんな子どもたちのためにできることを考え、理解することから私のこれからの生活が始まるのだと思った。とても勇気をもらった」。
園田『解放教育』(明治図書)2010年8月号より