シリア危機(公開日:2014.03.15)
「人生で一番の贈り物」〜紛争下の希望〜(2014.03.15)
2011年3月15日に反政府デモを発端として始まったシリア紛争。解決を見ないまま、今日で3年を迎えます。これまでに1万人を超える子どもたちがこの紛争に巻き込まれ、命を落としたと考えられています。
セーブ・ザ・チルドレンはこれまで、シリア国内で紛争に巻き込まれた60万人を超える人々、そのうち50万人の子どもたちに支援を届けることができました。セーブ・ザ・チルドレンとそのパートナー団体のスタッフたちは、危険にさらされながらも、人道支援をシリア国内に届けています。紛争の中で暮らす子どもたちのために、「こどもひろば」や学校を設置し、子どもたちが不安を克服し、遊び、学べる場を提供しています。紛争の影響を強く受け、特別な支援が必要な子どもたちには、医療費の補助なども行っています。
今回は、こどもひろばに参加している女の子の言葉をお届けします。
自ら紛争に巻き込まれ傷を負った辛い経験と、勇気を出してこどもひろばに参加したときの気持ち、こどもひろばに参加する喜びを、次のように語ってくれました。(個人が特定される情報を一部編集しています。)
避難先にも追いかけてくる戦争 、「死んでしまうかも」
私はヌーラといいます。シリアに住む12歳の女の子です。以前は家族と小さな家に住んでいました。私たちの家は小さかったけれど、いつも笑いと喜びが絶えませんでした。ちょうど3年前にシリア紛争が始まった後、私たちの家は恐れ恐怖と不安に包まれるようになりました。爆弾の音は近づいてきましたが、私は、「自分たちは大丈夫に違いない、戦争に巻き込まれたりはしない」といつも信じていました。
ふるさとの村は大好きでしたが、戦争が激しくなってきたので、「私たちを連れて、どこかに逃げて」とお父さんに頼みました。お父さんは私たちの願いを聞き入れてくれ、他の村に避難をしましたが、ふるさとの村を離れたその瞬間から、不安が私の心をよぎらない日はありませんでした。
ある日、避難先で、兄と友だちと一緒に、私は外で木登りをしながら果物を取っていました。木に群がる小鳥のまねをして遊んでいました。私たちの笑い声が林に響いて、辛い中にも 明るい気持ちで幸せだったあの午後を覚えています。
突然、私たちを探して誰かが大声で必死に叫んでいるのが聞こえました。誰が呼んでいたのかはわかりませんでした。安全だと思っていたのに、命を落とすのではないかと恐ろしくなりました。また戦争が私たちを追いかけてきたのです。
砲弾が、私たちが遊んでいた樫の木を襲いました。木が標的にされたのか、誰にもわかりません。本当に恐ろしかった。どの方角に向けて走っていいのかまったくわかりませんでした。
突然煙が襲ってきて、兄も友だちも見えなくなりました。
私は、「ああ、ここで死んでしまう」と思いました。
意識を取り戻したのは、病院のベッドの上でした。お父さんとお母さんが私のそばにいて、私が目を開けた途端、叫び声を上げ、大声で泣き出し、神様に感謝の祈りをささげ始めました。両親は私が助からないのではないかと思っていたのです。母を見ました。涙が頬を伝い、無言で立ち尽くしていました。お医者さんが両親に、私は命を取り留めたと伝えていました。
両親が私に立つように言いました。その時、私は自分の身に起こった悲しい出来事に気づきました。
爆撃によって私は体の一部を失っていたのです。
これからの人生、私は元の体に戻ることもできず生きていかなければならないことを、悟ったのです。
「私は他の子どもとは違うから…。」
退院した後、私と家族は戦争を逃れてきた人々が住む地域へ移動しました。そこにはたくさんの子どもたちが住んでいました。彼らは楽しんでいるように見えたけれど、私は泣くのを止めることができませんでした。なぜなら、彼らと一緒にはもう遊べないと思ったからです。私は、自分がまるで翼をなくし、二度と飛びたてない小鳥のように感じました。そんな私を支えてくれたのは家族です。愛と情熱で私を悲しみと絶望から救ってくれました。
誰かから、ここにセーブ・ザ・チルドレンが 「こどもひろば」を開くというニュースを聞いたとき、私はまだ絶望を感じていました。最初は絶対に行くもんかと思っていました。障がいを持った私は他の子どもとは違うから一緒に遊んだりできないと思ったのです。ある日、こどもひろばで働くモウナさんが来て、私と私の家族にぜひ参加するようにと誘ってくれました。
行きたくなかった。でも、ほかの子どもたちが楽しそうに遊んでいるのを見ました。そして、こどもひろばで描いた絵や塗り絵を見ました。どれもきれいで、役に立ちそうでした。他の子どもたちが歌を歌ったり、音楽を演奏するのを聞きました。ゲームをしたり、テニスをしたり、チェスをしたりと、どれも楽しそうでした。そこで、私もこどもひろばに行く決心がついたのです。
誰もが私のことを温かく迎えてくれました。予想していなかったことでした。こどもひろばのスタッフはみな優しくて、他の子どもたちもみな優しかった。こどもひろばのスタッフは私のために最善を尽くそうとしてくれることを感じました。私は、今、他の人からの助けを受け入れることに少しずつ慣れてきたところです。こどもひろばは楽しくて、とてもいい雰囲気があります。心から信頼できる新しい友達もできました。
人生で一番の贈り物 - 新しい希望とヌーラの願い -
障がいがあっても、こどもひろばのほとんどの活動に参加できるのだと知ったことは大きな喜びでした。こどもひろばは私の人生に希望を授けてくれたのです。同じ頃、他の団体が私に義肢をつけてくれ、今、リハビリを続けています。
今、私は他の子どもたちと同じように遊ぶことができるのです。
たくさんの人に感謝を捧げたいです。なぜなら、私をこの紛争から救ってくれたと感じるからです。たくさんの人が私を励ましてくれました。私の人生で一番の贈り物をもらったのです。それは「新しい人生の希望」です。
世界中のすべての紛争が終わることを、平和が広がることを願ってやみません。
大きくなったら、私を助けてくれたたくさんの人のように、助けが必要な子どもを助けることができる大人になりたいと思います。
(報告者:海外事業部 田邑恵子)
セーブ・ザ・チルドレンはこれまで、シリア国内で紛争に巻き込まれた60万人を超える人々、そのうち50万人の子どもたちに支援を届けることができました。セーブ・ザ・チルドレンとそのパートナー団体のスタッフたちは、危険にさらされながらも、人道支援をシリア国内に届けています。紛争の中で暮らす子どもたちのために、「こどもひろば」や学校を設置し、子どもたちが不安を克服し、遊び、学べる場を提供しています。紛争の影響を強く受け、特別な支援が必要な子どもたちには、医療費の補助なども行っています。
今回は、こどもひろばに参加している女の子の言葉をお届けします。
自ら紛争に巻き込まれ傷を負った辛い経験と、勇気を出してこどもひろばに参加したときの気持ち、こどもひろばに参加する喜びを、次のように語ってくれました。(個人が特定される情報を一部編集しています。)
避難先にも追いかけてくる戦争 、「死んでしまうかも」
私はヌーラといいます。シリアに住む12歳の女の子です。以前は家族と小さな家に住んでいました。私たちの家は小さかったけれど、いつも笑いと喜びが絶えませんでした。ちょうど3年前にシリア紛争が始まった後、私たちの家は恐れ恐怖と不安に包まれるようになりました。爆弾の音は近づいてきましたが、私は、「自分たちは大丈夫に違いない、戦争に巻き込まれたりはしない」といつも信じていました。
ふるさとの村は大好きでしたが、戦争が激しくなってきたので、「私たちを連れて、どこかに逃げて」とお父さんに頼みました。お父さんは私たちの願いを聞き入れてくれ、他の村に避難をしましたが、ふるさとの村を離れたその瞬間から、不安が私の心をよぎらない日はありませんでした。
ある日、避難先で、兄と友だちと一緒に、私は外で木登りをしながら果物を取っていました。木に群がる小鳥のまねをして遊んでいました。私たちの笑い声が林に響いて、辛い中にも 明るい気持ちで幸せだったあの午後を覚えています。
突然、私たちを探して誰かが大声で必死に叫んでいるのが聞こえました。誰が呼んでいたのかはわかりませんでした。安全だと思っていたのに、命を落とすのではないかと恐ろしくなりました。また戦争が私たちを追いかけてきたのです。
砲弾が、私たちが遊んでいた樫の木を襲いました。木が標的にされたのか、誰にもわかりません。本当に恐ろしかった。どの方角に向けて走っていいのかまったくわかりませんでした。
突然煙が襲ってきて、兄も友だちも見えなくなりました。
私は、「ああ、ここで死んでしまう」と思いました。
意識を取り戻したのは、病院のベッドの上でした。お父さんとお母さんが私のそばにいて、私が目を開けた途端、叫び声を上げ、大声で泣き出し、神様に感謝の祈りをささげ始めました。両親は私が助からないのではないかと思っていたのです。母を見ました。涙が頬を伝い、無言で立ち尽くしていました。お医者さんが両親に、私は命を取り留めたと伝えていました。
両親が私に立つように言いました。その時、私は自分の身に起こった悲しい出来事に気づきました。
爆撃によって私は体の一部を失っていたのです。
これからの人生、私は元の体に戻ることもできず生きていかなければならないことを、悟ったのです。
「私は他の子どもとは違うから…。」
退院した後、私と家族は戦争を逃れてきた人々が住む地域へ移動しました。そこにはたくさんの子どもたちが住んでいました。彼らは楽しんでいるように見えたけれど、私は泣くのを止めることができませんでした。なぜなら、彼らと一緒にはもう遊べないと思ったからです。私は、自分がまるで翼をなくし、二度と飛びたてない小鳥のように感じました。そんな私を支えてくれたのは家族です。愛と情熱で私を悲しみと絶望から救ってくれました。
誰かから、ここにセーブ・ザ・チルドレンが 「こどもひろば」を開くというニュースを聞いたとき、私はまだ絶望を感じていました。最初は絶対に行くもんかと思っていました。障がいを持った私は他の子どもとは違うから一緒に遊んだりできないと思ったのです。ある日、こどもひろばで働くモウナさんが来て、私と私の家族にぜひ参加するようにと誘ってくれました。
行きたくなかった。でも、ほかの子どもたちが楽しそうに遊んでいるのを見ました。そして、こどもひろばで描いた絵や塗り絵を見ました。どれもきれいで、役に立ちそうでした。他の子どもたちが歌を歌ったり、音楽を演奏するのを聞きました。ゲームをしたり、テニスをしたり、チェスをしたりと、どれも楽しそうでした。そこで、私もこどもひろばに行く決心がついたのです。
誰もが私のことを温かく迎えてくれました。予想していなかったことでした。こどもひろばのスタッフはみな優しくて、他の子どもたちもみな優しかった。こどもひろばのスタッフは私のために最善を尽くそうとしてくれることを感じました。私は、今、他の人からの助けを受け入れることに少しずつ慣れてきたところです。こどもひろばは楽しくて、とてもいい雰囲気があります。心から信頼できる新しい友達もできました。
人生で一番の贈り物 - 新しい希望とヌーラの願い -
障がいがあっても、こどもひろばのほとんどの活動に参加できるのだと知ったことは大きな喜びでした。こどもひろばは私の人生に希望を授けてくれたのです。同じ頃、他の団体が私に義肢をつけてくれ、今、リハビリを続けています。
今、私は他の子どもたちと同じように遊ぶことができるのです。
たくさんの人に感謝を捧げたいです。なぜなら、私をこの紛争から救ってくれたと感じるからです。たくさんの人が私を励ましてくれました。私の人生で一番の贈り物をもらったのです。それは「新しい人生の希望」です。
世界中のすべての紛争が終わることを、平和が広がることを願ってやみません。
大きくなったら、私を助けてくれたたくさんの人のように、助けが必要な子どもを助けることができる大人になりたいと思います。
(報告者:海外事業部 田邑恵子)