シリア危機(公開日:2016.01.14)
みんなで大好きな学校へ戻りたい
昨年9月、トルコの海岸にシリア難民の男の子の遺体が打ち寄せられた写真が、世界に衝撃を与えました。あの1枚の写真から、シリア問題の深刻さを知ったという方もいらっしゃるのではないでしょうか。
シリア国内の紛争から逃れ、海を越えてヨーロッパで生活を再建しようとする人たちがいる一方で、シリア国内を転々としながら避難生活を続ける人たちもいます。貧しかったり、高齢だったり、あるいは障害や病気を抱えていたりといった特に脆弱な立場に置かれた人たちは、国外に避難することはとても困難です。ニュースで流れる1枚の写真の裏には、語られることも撮られることもない、数千万の、シリア紛争に翻弄される人たちの過酷な現実があります。
今回は、シリアで暮らすジャマルさん(12歳)が、家族を助けるために経験した過酷な経験を語ってくれました。
シリア国内の紛争から逃れ、海を越えてヨーロッパで生活を再建しようとする人たちがいる一方で、シリア国内を転々としながら避難生活を続ける人たちもいます。貧しかったり、高齢だったり、あるいは障害や病気を抱えていたりといった特に脆弱な立場に置かれた人たちは、国外に避難することはとても困難です。ニュースで流れる1枚の写真の裏には、語られることも撮られることもない、数千万の、シリア紛争に翻弄される人たちの過酷な現実があります。
今回は、シリアで暮らすジャマルさん(12歳)が、家族を助けるために経験した過酷な経験を語ってくれました。
「僕のお父さんは、建設の仕事をしていました。紛争前、僕たちは、お父さんが建てた家に住んでいました。大きな庭にオリーブの木、ぶどうの木、イチジクの木、そしてたくさんのバラが植えてある、村で一番きれいな家でした。でも、4年ぐらい前に村への爆撃が始まって、僕たちは大好きな家を離れなければならなくなりました。しばらくして村に戻ると学校は閉校していて、2年もの間学校に行けませんでした。
学校に行けなくなった頃は、よく友だちと遊んでいました。でも、だんだん周りの子たちが働き始めたんです。どの家も貧しくて、お金を稼ぐ唯一の方法は、石油市場で働くことでした。友だちは、仕事から帰ってくると、汚れていて、疲れていて、石油臭かった。そのときは、僕もみんなと一緒に働くことになるとは思っていませんでした。
そのうち、僕たちの家もとうとうお金がなくなってしまいました。お父さんは、仕事がなくなり、生活の糧は飼っていた牛だけだったので、牛乳を売って、そのお金で食べ物を買っていました。でも、牛乳を売るだけでは生活できなくなってきたので、僕は兄と一緒に、お父さんとお母さんを助けるために働くことにしました。
僕と兄は、他の子たちと同じように、スポンジとバケツを持って朝早くから石油市場に行くようになりました。そこではたくさんの人が働いていて、他の子たちと争わないとバケツに石油をためることができません。とてもきつくて、危ない仕事でした。
タンクに石油を入れている時に事故が起きやすく、タンクの近くにいる人に火が燃え移るのを何回も見ました。いつもすごく怖かったけれど、やけどをしたくなかったし、タンクに石油を入れる時には離れているようにと兄が教えてくれたので、僕もとても気をつけていました。
それでも、仕事中には石油を直接手で触るので、僕は病気になってしまいました。小さな赤いぶつぶつが体中にできて、両手がずっとヒリヒリするようになりました。手も黒くなってしまいました。どんなに洗っても、石油の臭いが消えないし、黒いままでした。体も手もちゃんと洗いたかったけど、毎日水は使えなかったので、砂で洗うしかありませんでした。この仕事が大嫌いでした。それなりのお金をもらえたけど、いつも気分が悪くなるので、嫌で嫌で仕方がありませんでした。
学校に行けなくなった頃は、よく友だちと遊んでいました。でも、だんだん周りの子たちが働き始めたんです。どの家も貧しくて、お金を稼ぐ唯一の方法は、石油市場で働くことでした。友だちは、仕事から帰ってくると、汚れていて、疲れていて、石油臭かった。そのときは、僕もみんなと一緒に働くことになるとは思っていませんでした。
そのうち、僕たちの家もとうとうお金がなくなってしまいました。お父さんは、仕事がなくなり、生活の糧は飼っていた牛だけだったので、牛乳を売って、そのお金で食べ物を買っていました。でも、牛乳を売るだけでは生活できなくなってきたので、僕は兄と一緒に、お父さんとお母さんを助けるために働くことにしました。
僕と兄は、他の子たちと同じように、スポンジとバケツを持って朝早くから石油市場に行くようになりました。そこではたくさんの人が働いていて、他の子たちと争わないとバケツに石油をためることができません。とてもきつくて、危ない仕事でした。
タンクに石油を入れている時に事故が起きやすく、タンクの近くにいる人に火が燃え移るのを何回も見ました。いつもすごく怖かったけれど、やけどをしたくなかったし、タンクに石油を入れる時には離れているようにと兄が教えてくれたので、僕もとても気をつけていました。
それでも、仕事中には石油を直接手で触るので、僕は病気になってしまいました。小さな赤いぶつぶつが体中にできて、両手がずっとヒリヒリするようになりました。手も黒くなってしまいました。どんなに洗っても、石油の臭いが消えないし、黒いままでした。体も手もちゃんと洗いたかったけど、毎日水は使えなかったので、砂で洗うしかありませんでした。この仕事が大嫌いでした。それなりのお金をもらえたけど、いつも気分が悪くなるので、嫌で嫌で仕方がありませんでした。
そのうちに、体の具合がとても悪くなったので辞めました。1年ほど前に、学校が再開されたと聞いて、学校に戻りました。毎日学校に通えるようになって、本当に嬉しかった。学校は大好きです。将来は、学校の先生になりたいな。学校に行けない他の子たちがかわいそうです。学校に行かなければ、これからどうなるかわからなくなるし、ずっとあの石油市場で働かなきゃいけないかもしれない。学校に行けば、自分がやりたい仕事ができるようになると思う。
先生は、親切で良い人たちです。僕たちと一緒に、歌をうたったり、絵を描いたり、劇をしたり、物語を読んだり、いろんなことをしてくれます。アラビア語や英語、それから算数も教えてもらっています。僕はアラビア語が得意なんです。字が上手だから、クラスのみんなが僕のところに集まってきます。僕は、みんなの名前をきれいに書いてあげるんです。
僕は、絵を描くのも好き。いつも家の絵を描いています。僕は壊れた家の絵を描いて、この紛争が僕の村をどんなふうにしてしまったか、みんなに伝えています。
先生は、親切で良い人たちです。僕たちと一緒に、歌をうたったり、絵を描いたり、劇をしたり、物語を読んだり、いろんなことをしてくれます。アラビア語や英語、それから算数も教えてもらっています。僕はアラビア語が得意なんです。字が上手だから、クラスのみんなが僕のところに集まってきます。僕は、みんなの名前をきれいに書いてあげるんです。
僕は、絵を描くのも好き。いつも家の絵を描いています。僕は壊れた家の絵を描いて、この紛争が僕の村をどんなふうにしてしまったか、みんなに伝えています。
この紛争が早く終わって、全部元通りに建て直せたらいいな。」
ジャマルさんは、セーブ・ザ・チルドレンの支援を受けて学校に再び通い始めました。セーブ・ザ・チルドレンでは引き続き、シリアで暮らす子どもたちに対し、紛争により中断されてしまった教育の機会を提供し、子どもらしさを取り戻すための「こどもひろば」の運営、紛争の影響を強く受けた子どもたちに対する心理社会的支援を行っています。
本事業は皆さまからのご支援と、ジャパン・プラットフォームからの助成により実施しています。
報告者:海外事業部 藤井麻衣子
※使用している子どもの名前・写真は、個人情報保護のため、一部編集しております。
本事業は皆さまからのご支援と、ジャパン・プラットフォームからの助成により実施しています。
報告者:海外事業部 藤井麻衣子
※使用している子どもの名前・写真は、個人情報保護のため、一部編集しております。