日本/東日本大震災/福島(公開日:2014.04.02)
福島:望郷の思いを紡ぐ -かつらおっ子絆キャンプ(2014.04.02)
東日本大震災の発生に伴う福島第一原発の事故から3年が過ぎましたが、依然多くの福島県民が放射線の脅威により故郷を追われ、避難生活を続けています。同県双葉郡の山中にある人口約1,500人の葛尾(かつらお)村も全村避難を余儀なくされています。平凡な日常は失われ、住民たちも各地に離散したまま。いつになったら、村に戻れるか、現時点で見込みは立っていません。
そんな葛尾村の子どもたちが、かつての友人と再会し、豊かな自然の中であらためて絆を深めることを目的に、公益社団法人セーブ・ザ・チルドレン・ジャパンは、サントリーホールディングス株式会社と共に進める「フクシマ ススム プロジェクト」の一環として「かつらおっ子絆キャンプ」の開催支援をしました。2013年8月17、18日の2日間、福島県大玉村のフォレストパークあだたらで開催されたキャンプには35人のかつらおっ子たちが参加し、旧交を温めました。
今回のキャンプは、葛尾村の地域住民でつくる「かつらおスポーツクラブ」が、村の子どもたちが散り散りになっている現状を憂い、「子どもたちが再会できる機会を作ろう!」と企画したものです。しかし、いざキャンプをするには、それなりのノウハウや人手が必要です。そこで、地元の福島大で「スポーツ企画演習」を学んでいる学生たちの協力を仰ぐことになりました。こうして、葛尾村の大人たちと福島大の学生がタッグを組み、今回のキャンプが実現しました。
再会、みんなでチームの旗づくり
8月17日、三春町にある葛尾村の仮設庁舎に参加者が集合しました。集まった子どもたちは幼児、小学生、中学生合わせて35人(保護者が9人)。今年4月に三春町で再開された葛尾小・中に通う子もいれば、相馬市やいわき市など県内各地に避難している子もいます。村役場の職員は、次々と集まってくる子どもの姿に、「震災以後、こんなに村の子どもが集まったのは初めてでは」と興奮気味です。
仮設庁舎での久々の再会。旧友たちと顔を合わせて子どもたちから歓声が上がるかと思いきや、みな少し照れくさそうにモジモジしています。同伴したお母さんは「久しぶりに会っても、恥ずかしさが先に来る年頃なんです。でも家では、今回の事業をとても楽しみにしていましたよ」と言います。時間がたっぷりあります。少しずつ少しずつ、慣らしていきましょう。
開講式には、松本允秀(まさひで)村長(左写真)も駆けつけてくれました。
実は村長、かつらおスポーツクラブの会員でもあるのです。「原発事故から3回目の夏を迎えましたが、村に帰るにはもう少し時間がかかります。事故で生活は一変してしまいましたが、“事故のせいだ”と悔やむだけでなく、事故をきっかけにこれだけ良くなったこともあると前向きにとらえていくことが大事だと思います。このキャンプがみなさんの人生において大きな経験となることを祈っています」との挨拶に、子どもたちも心打たれたようでした。
緊張した雰囲気の開講式が終わると、海賊団に扮した大学生が戦隊ヒーローのように音楽にのって登場し、会場を盛り上げます。大学生のノリの良さに引っ張られて、緊張した面持ちだった子どもたちにも笑顔が広がりました。参加者は7つのグループに分かれて、最初の活動「旗づくり」に取り組みました。各グループ、与えられた布地に、思い思いの絵をかいて、オリジナル旗を作成しました。このころになると、すっかり子どもたちも打ち解けた様子でした。
フォレストパークへ移動、キャンプ設営
旗づくりが終わると、2台のバスで大玉村のあだたらフォレストパークへ向かいました。片道1時間、豊かな森に囲まれた素敵なキャンプ場です。森に、丘に、芝生の斜面!子どもたちにとっては最高の遊び場。移動の疲れも見せずに、早速アスレチックで飛び跳ね、駆け回る子どもたち。同行した保護者たちも子どもたちのあふれんばかりのパワーに目を細めていました。
お昼ご飯を済ませたら、いよいよテント設営。大学生のお手本を参考に、ポールをつないで、布地をはって、立派に設営しました。
大事なのは何よりチームワーク。一人では大変なことも、みんなで力を合わせれば、成し遂げることができる。あっという間に、広場はテント村になりました。
心ひとつに?宝探しウォークラリー
今回の絆キャンプ、「ただの再会イベントではなく、キャンプにしたのは訳がある」とかつらおスポーツクラブの中島道男会長は言います。ともに課題にあたり、力を合わせて解決する過程こそが、震災でバラバラになったかつらおっ子たちの心を再びつなぐと期待してのことです。ウォークラリーもそんな効果を狙って、大学生が企画しました。
広大なフォレストパーク内で、「隠されたお宝を探せ!」と指令を受けた子どもたちは、一枚の地図を手掛かりに園内を歩き回って、宝物を探しました。
「そっちじゃない、あっち行こうぜ」。真剣な表情で子どもたちは、意見を交わします。上級生が小さい子の手を引いてサポートする姿もありました。森の奥に、川のそばに、あちこち走り回って、汗だくになった末、見つけ出した宝物。最後までやり遂げた子どもたちの表情が誇らしげでした。
みんなでBBQ「世界に一本しかないオリジナル串を作ろう!」
動き回ったあとは、お楽しみのバーベキュー!下ごしらえは、クラブや村役場の大人たちが手伝ってくれました。しかし、大人たちは、ただ具材を切っただけ。それらを組み合わせて、自分だけのオリジナル串を作るのは、あくまでも子どもたちです。ささやかなことかもしれませんが、「大人の用意したものを与えられるだけでなく、自分たちで主体的に創り出すことの大切さを覚えてほしい」と中島会長。主役はやっぱり子どもたちなのです。さあ、炭に火が付いたら、バーベキュー開始です。
ピーマン、玉ねぎ、ナスに肉!野菜をバランスよく刺す子もいれば、牛肉ばかりで串を作ってしまう子も。「好きなものを刺していいよ」と言った大人たちも「もう少し遠慮しろよ(笑)」と苦笑い。お腹いっぱい、バーベキューを楽しみました。
キャンプファイヤーの夜
キャンプの夜といえば、外せないのがキャンプファイヤーです。そして定番のフォークダンス。マイムマイムに、オクラホマミキサー、大人にも懐かしい曲ばかりです。ダンスははじめてという子どももいましたが、見よう見まねで楽しそうに踊っていました。そして、今夜は「再会」の宴、ただのダンスでは終わりません。
福大生の用意した趣向が、そう、タイムカプセルです。今、自分が一番大事にしているものを箱に入れて、五年後、再びみんなで集まったときに、一緒に開けようというものです。
大切なおもちゃを入れる子もいれば、家族との大事な写真を入れる子も。一番多かったのは、未来の自分にあてた手紙を書いた子どもたちでした。五年後の自分は、どこで何をしているのか?どんな状況で、このタイムカプセルを再び開けることになるのか。そんな思いが子どもたちの胸に去来しているようでした。
全員が宝物を箱に入れ終えると、最後に、みんなで「葛尾小」の校歌を歌いました。現在、仮設校舎の葛尾小に通う子もいれば、避難して通えない子もいます。震災時、幼児だった子どもにとっては一度も通ったことのない「ふるさと」の校歌です。一方で、村の大人たちにとっても、かつて通った思い出の母校。いつになったら、あの「葛尾小」にみんなで帰ることができるのか?さまざまな思いをのせて、葛尾小の校歌が闇夜に響きました。
かつらおスポーツクラブ伝統の「流しそうめん」
テントを午前中に撤収して、再びバスで移動。最後は三春町内にある葛尾村の仮設住宅にて、かつらおスポーツクラブ伝統の「流しそうめん」を楽しみました。この催しは、震災前から毎年夏に開催されていて、村人たちにとっては夏の風物詩になっていたとのことです。全長10メートルにも及ぶ竹のスロープは、かつらおSCの中島会長が自ら森で切り出して加工したものです。「村人みんなで流しそうめんをすする、この景色が毎年見たくてさあ」と中島会長は目を細めます。
気温35度の炎天下、キーンと冷えたそうめんは最高ののどごし。そうめんだけでなく、トマトやブドウも流れるのが、かつらお流。子どもたちは、上流から次々と流れてくる色とりどりの食材を、ワイワイ言いながら、上手に箸でキャッチしていました。
別れの時、「また会おうね」。
楽しい時間はあっという間に過ぎてしまうものです。一泊二日のキャンプもこれで終了です。最後に子どもたちは、福島大学生が編集したキャンプ中に撮影した写真のスライドショーを見ました。スライドの中には、原発事故が起こる前の葛尾村の風景写真も加えられていました。かつて通った村の幼稚園が写しだされると、子どもたちは口々に「懐かしい!」と声をあげました。まだ帰ることはできない。でも、いつかは。そんな思いを、このキャンプを通じて、あらためて強く感じたかもしれません。
今回、キャンプに2人の子どもを連れて避難先から参加したお母さんは「県内外でバラバラになっている村民が、また一緒に会うことができる機会はなかなかないので、子どもにとっても親にとってもありがたいです。本当なら葛尾村で学ぶはずだった、年齢が上の子や下の子を含めた子ども同士のつながりをこのキャンプを通じて、感じることができた気がします」と話しました。閉講式の挨拶で、かつらおSCの中島会長は「昨日と今日と、子どもたちの笑い顔をたくさん見ることができてすごく良い経験ができました。ここしばらく見ていなかった、普段とは全然違う子どもたちの笑顔を見ることができた気がします」と今回のキャンプを評しました。そして最後に、「この二日間の思い出が、これからの避難生活の心の支えになると思います」と自らにも言い聞かせるように、子どもたちに語りかけました。別れ際、子どもたちは明るい顔のまま、それぞれの避難先に帰っていきました。「また、会おうね」と口々に呟きながら。